ですが・・・
今日は思いっきり私情で暗いお話しなので、嫌いな方はスルーして下さいね。
なので、いつも夜の更新が今日はこんな早い時間です。


夜、暗い時間に一人で書くとまたど~んと余計に落ちてしまうので汗




それは2月26日木曜日の事。朝7時25分に音符見ると息子からの着信


こんなに朝早くどうしたんだろう!?
頭の中では、まさかねって思いが・・・
病室での通話は禁止、でも嫌な予感がしてるので出ました。



なんだか息子の声に元気がない、それどころか震えてる。
どうしたの!?
あいつがな(当時の彼女のYちゃんです)あいつがな・・・
やっぱり嫌な予感は当たってしまいました。
うんうんとしか言えないるい。
あいつも頑張ったんだけどね・・・
泣くのを我慢しているのがわかる。
泣いていいんだよ、泣いていいんだよ・・・といいつづけるしか出来ない汗


Yちゃんは当時23歳という若さで旅だったのです。
発症はその2年前、大腸ガンでした。
るいはそれを知らなかったのです。
2007年の9月頃だったと思います、朝6時前に息子から着信
Yちゃんがお腹が痛がってるんだけど、どこかいい所知らない!?
息子達の近くでは知らないので、とても痛がってるなら救急車呼ぶからって聞いたら、今少し落ち着いてるとの事。
なので知ってるクリニックに連絡、よろしくお願いしますと。
お昼過ぎに息子に聞くと、婦人科に紹介されて検査中との事。
結果は子宮に転移でした・・・
手術が決定、全摘です。
手術前日Yちゃんから手紙、ママ!?私は明日目が覚めたら子宮がないです。
女じゃなくなります、だからママから〇君に別れてと伝えてと・・・
涙が止まりませんでした、でもこう伝えました。るいはあのこをそんな酷い息子に育てたつもりはないから、多分別れるつもりはないと思うよ。
ずっとYちゃんと一緒にいるって、子宮がないからって見捨てるような子じゃないよって。
息子はやっぱり言いました、ずっと一緒にいるよって。
手術が終わり、落ち着いて来た秋も終わりの頃・・・



ママ、抗がん剤する事になったの。
FOLFILI、綴りあってるかな!?
副作用ってどんなだろうって聞かれたので、友達に調べて貰いました。




それから1年以上抗がん剤と内服を続けてました。2008年の秋くらいかな、骨に転移してるんだってって。
そう・・・・
しか言えませんでした。
その頃から、痛みと抗がん剤で入退院の繰り返し。
その年の12月にるいのガンが発覚、同じ病気だから頑張ろビックリマーク




るい自信も落ち込んでいたから、自分にも言い聞かせるつもりでした。年が明けるとお互いに入院して、Yちゃんは痛みが強いみたいであまり連絡はありませんでした。
息子から様子を聞いてました。



ウエディングドレスが着たいって言ってるから、調子のいい時に写真撮りに行くつもりなんだ。
そうか、Yちゃんのドレス姿はとても綺麗だろうなって思ってました。
それは叶う事はありませんでした、もしかしてYちゃんは何となくわかってたんじゃないかなって思えてなりません炅



亡きがらに着せてあげたかったって思いもあります。死化粧姿はまるで今にも目を覚ますんじゃないかって思う程だったようです。
最後は痛みもなく、眠るように亡くなったって聞いて、苦しまなくてよかったって。



でもるいは今でも思います、副作用の辛さをほんとにわかってあげられなかったな。
頑張れって勝手だったかなって。
去年の秋、多分るい自信が1番副作用がきつかった時、あ~Yちゃんが副作用どんなか聞いてって言ってたなとか辛さをわかってあげられなくてごめんねとか・・・
ずっと思ってた事がピークに達しました、夜中に泣いて泣いて泣いて・・・
友達に着信




気持ちはわかるけど、前にも言ったようにあなたはちゃんと生きなさい。
泣いたらすっきりして、また明日から免疫力あげなさい。
命を全うしてから彼女に会いなさい、そしていろんな話しをしてあげなさい。
今あなたまで居なくなったら〇君はどうするの!?
そうだ、最初にそう言ってくれてた・・・


それまで、その事だけじゃないけど、いろんな考えで眠れない日が続き気分は沈み・・・
お薬を飲みだしたのはその頃からかな。



今でもこの先ずっとるいはこの思いをかかえていくと思う・・・
どうしようもないけど・・・
どうしようもない。


まとまりのない文章どう表現していいのかわからないのでこんなになりました。

ごめんなさい、これも入院中の出来事なので残しました。


そしてNさん、あの時は忙しいのにるいの側に居てくれてありがとうございました。


明日からは、また入院中のblogほかいろいろ書きます。
今日は暗い記事でごめんなさいでした珵