Ludicrous clown

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眠りながら書いております。

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この世の中に生きていて問題に直面しないなどとは稀有な事だ。誰しも心に問題を飼っているはずだ。例えば親にお菓子を買ってもらえないだとか、漂流したが食料が無く他人の死体を喰わねばならないだとか。些細な物から絶望的にシビアな物まで。その様な問題に直面した時に逃避は行われる。逃避とは世間的によろしくないイメージがあるようだ。しかし私は、逃避、大好きである。


逃避と問題から逃げる事は全く異なる。問題から逃げるというのは真正面から問題に向き合う事と同じだ。鬼ごっこでも、鬼から逃げる子供は鬼の行動を分析・予測し、それに応じて加速したり、振り切ったり、進路を決定したり、必殺・タッチ返しをお見舞いする事だってあるだろう。対して逃避とは鬼ごっこを辞める事だ。鬼から鬼の力を奪い、取るに足りない友達に戻すと云う事なのだ。逃避は使いこなせば無敵の手段であるが、それ故に張り合いの無さと虚しさを心に残してゆく。


だが私が最も恐れるべきだと思うのは、問題を発見しなくなる事だ。いや、寧ろ私は誰もが問題など発見しないような真っ白な社会を望むが、今はまだ其の時では無いと思う。傍に苦悶している人がいても、それを問題とすら認識しない社会には成るべきでは無いと思うのだ。問題が発見されて初めて、改善の余地が発生する。問題無しに改善は在り得ない。問題ばかり見て思い悩んでいるだけでは幸せなど程遠いのだろうが、問題の発見すら怠るのも幸せに少し物足りなさを感じるだろう。積極的に鬼を増やして、鬼の集団からひたすら逃げ切るエキサイティングな人生など望んではいないが、鬼ごっこそれ自体を始める事を忘れぬようにしたいと思うのである。