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日々のこと

言葉を紡ぎだしてみるところ。


日々のこと




煮詰まって、

窓の外を眺める。


too hot to work.

「賑やかな街ねぇー」

と母がやってきて、

ワンルームのおうちで一緒にご飯を食べる。




元気でいることが当たり前だと思っていて、

あらゆるものを享受することが当然の権利だと思ってきて、

なのにときに、煙たくなって、離れたくなって、


そうこうしているうちに、

物理的に離れざるを得なくなって、


久しぶりにあうと、

お互い少しずつ年をとっていくのが

目に見えて分かって、


ありがたいなとしみじみ思い始めるときには

この人とは、いつか本当に離れてしまうんだ

と切ない存在になっている。

もっと大切にすればよかった

もっといろんな時間をともにすればよかった

あんなにこんなに尽くしてくれたのに!!!


って、

絶対に、絶対に思うと思う。

しかし、どうにもくすぐったいのである。


母と娘という関係は

不思議なものだ。

どんどん対等な「女同士」になっていくような気もするのに、

小さいころからすべてを見られてきたなんて

全然及ばないな、というシビアな感じもある。


自分の母親という「ひとりの女性」への好奇心は、

自分が母親になることでしか満たされないのかも知れないと思う。


こんなに見返りのない人間に対して、

どうしてここまで尽くしてくれるんだろう。

例えば美味しいものを食べさせてあげたいという途切れることのない気持ちの正体を

いつか心から分かる日が来るのだろうか。



・  ・ ・・・





久しぶりの振り作りにテンションのあがる週末。

久しぶりのチームミーティングでは、

久しぶりなのに言いたい放題発言して、

嗚呼みなさまごめんなさい。

そして、相変わらずわたしだけ明確な仕事に就かず、

「あなたはマスコット的な感じで、ときどき熱いコメント言ってくれればいいから」

という、気楽極まりない自由なポジションを今年もちゃっかり確保する。




ダンスイメージを膨らませるのは大切だし、

イメージなく振りはできないけれど、

振付けを担当すると決めた以上は、

細かいカタチを詰めて伝えていくのは必須。

全体がどう動くと

自分が想像するダンスが出来上がるのか、

その具現化が、ひとつひとつの動き作りだと思うのです。


と、

人のふりみて我がふり直すべく

いろいろと反省中。

ちん。


是枝監督の『奇跡』

子どもたちの演技が素晴らしい。



動かしようもない現実を

ゆっくり受け入れていく物語。


些細なシーンを丁寧に積み重ねていく感じが

私はとても好き。

でも、「自然ぽさ」というものは、

それを強調しようとした途端に

ものすごく厭らしい感じが出てしまって

その絶妙な匙加減が本当に難しいんだろうな

と思う。



フェイスブックとかツイッターとかブログとか

クリックひとつであらゆる交友関係とそれに付随するあらゆる情報が

入ってくるようになって


きちんと情報インプット抑制をすることは大事だな


と常々思う。


シーズンが終わったら

無地のノートと鉛筆を持って

電波の届かない山に登ろう。



・  ・


「寂しい」なんて

口にするのを見たことがなく

その告白に心揺さぶられる。


人はこれまでのいろいろな言動から

自分の都合がいいように他人の「人物像」を作り出している。

その像に縛られて、窮屈になっているのは自分の方なのに

一度形成した像をなかなか崩せずにいる。


所詮すべては思い込みなのである。

目の前の人は、

予想だにしなかった環境にきちんと適応しようと

日々変化を遂げているのに、

それを認めようとしないのは自分の方なのだ。


それは、

人と関係を形成するにあたって

なんて失礼なことなんだろうと思う。
















映画を観終わったあとに


「さあ、

どう思った?」


とどちらかが切り出すまで

何を話そうと言葉を探してわくわくしている時間って


ほんのり

幸せだと思う。



「『3時間話したけど、結局大して何も進んでないよね』

という無駄な時間って、絶対必要だと思う」


と、最近、さまざまに入り組んだ事情により

海外を頻繁に飛びまわる彼女は言う。


で、それなりの危機感から

女4人で集まってみたけれど、

やっぱり大して何も進まず、

全員既知の曲を2つ選んで

bjの構成会議は終わった。


脱ぐカメラマンのyoutube画像を探そうとしたり

寝ぼけて踊る動画を共有したりして

話はすぐ脱線する。


この無駄っぷりはすばらしい。


私的に大変に頭を混乱させている現状について

(公的には存在そのものが大変ご迷惑)

和気あいあい「会議」して、

心がちょっぴりスッキリ。


「プチアル中だから、まじで辞めなよ」

「あんたに言われたくないよ」

という親友同士の会話をにこにこ拝聴している。


いろいろあるけど、

みんなにこにこしている。


彼女たちと一緒にいると

女に生まれてよかったと心底思える。

大変感謝。略して大謝。





人は、あらゆる修羅場をくぐり抜けると

何にもとらわれなくなって

自由になって

達観して


その大きな器に

人は魅了されて集まってくるのだと


モテにモテる報道ジャーナリストを前にしみじみと思う。


いままで接点のなかった世界の人々へ、

取材の日々が始まりそうです。


大切な人の

誕生日パーティー四つ葉




プレゼントは

スケッチブックとスケッチ用の鉛筆と鉛筆削り。


プレゼントをあげたら、

さっそく

御食事しながら

描き始める。


もくもくとくも。




そして出来上がったのがこちら


日々のこと

絵・お姉ちゃん



happy birthday 2 u

にゃ








否定するなら代替案を出せ。

どんな小さな会社のどんな下らない会議であろうと、

それくらいのことは教わってくるだろう。


誰が、どんな対応をすれば、今よりもよくなるのか。


震災対応をいい餌に

保身のために騒いでいるとしか思えないのは


私だけでしょうか。



永田町の

おじさまたちよ。


イラストレーターさんが、

イラストを作り上げるプロセスを、

初めて、じっと見つめる。


さらさらさらと、

彼女だけの独特の世界観が、真っ白な紙の上に描かれる。

紙が息を始めるみたいに。

のんびりしたイラストが

驚くべきスピードで描きあげられる。


その姿を、

窓際に座って

光を浴びつつ

ばしゃばしゃと撮るカメラマンさん。


なんだかみんな

かっこいいなぁー

と思って、


静かな都内のアトリエで

静かに心満たされる。


かわいい小物と

たくさんの紙、

鉛筆にクレヨンにイラストが

溢れていて


引き続きしあわせな取材の一日。




そして今日のレッスンは写真撮影。


「はい撮るよー」

ってデジカメ出したら


「先生が撮るのー??カメラマンさんがいいーーー!!!」

って言われた。




しゅん。


うまく撮るもん。


(みんなの顔、豆粒みたいな大きさだけど)

お腹の中のしんこ(仮)を交える

赤裸々トークの空ノ庭。

ごく平均的な、ありふれた女子会の風景。

「『こんな地球に生まれたくない』

って思ってたらどうしようね」

と、けらけらけら。


よく考えればそれなりに深刻なはみ出しラブアフェアや

20代後半の性事情をも

きちんと笑い飛ばす女性たち。


ちょっと億劫になっていたのは

「怒られるし、呆れられる」

と思っていたからなんだけど、


すでにもう呆れられていた、んだったよ。

あらまあまあ。



人は、

当たり前に近くにあるものの、

いとおしさにはあまり気づかない

ものなのである。



かわいい文房具屋さんめぐりで出逢う

なつかしの商品たち多々。

図書館の本の裏についていた貸出カードと貸出封筒(注意書き入り)、

ヤマト糊にチョークに黒板消し。


「この色合いが可愛いですよね」

と店主さんに言われ、

かわいいとかかわいくないとか、

そういう視点はまったくなかったことに気がつく。


学校にある道具

それ以上でも以下でもなかったのだから。





見える、ということは

見ようと意識してはじめて見えるものである。

ある日空から、いままでになかった「視点」が降りてきて、

モノがいろんな風に見えるようになる。

その「いろんな風に」のバリエーションを

いっぱい持っている人でありたい。


そして、だいたいほとんどは、

ある日空から降ってくるのではなくて

ある日、人に出逢って生まれていく。

それはもちろん物理的な出会いだけじゃなくて、

気持ちがことんと両想いになったときに、

世界がくるりと回ったりする。


そうして

ときどき

くるくる回りすぎて

自分の立ち位置を失ったりもする。




それでも

私は、

こうして人に出逢っていたい

と想い続ける。

写真のクレジットにも、

いつも目を向ける。



エメラルドグリーンの

オリジナルノートを作ってもらって

えらく最高な気持ちで帰路につく。


かわいくて素敵な取材デー。


この皮のノートに

何を書こう。

ありがとうございました。

「カキモリ」さん→http://www.kakimori.com/







無知であることは罪であると

ある女性の涙を見て思い

発達障害についての本を読みふける。


何度話しかけても、

目を合わせてくれない。

返事をしない。

彼女の目に、私は見えていないかのように振る舞われ、

言葉を使って何かを伝えようとはまったくしない。


社会的動物である人間にとって、

自閉症という脳の障害はすごく残酷なものであると思う。

なんて酷い障害を作り出してしまったのだろうかと思う。


バッグの中の水筒からカルピスがこぼれてしまって

6歳のその子は大パニックに陥ってしまった。

適切な言葉をきちんと発していただろうかと、

自分の発言をぐるぐる振り返る。


「もう来週から来ない!!!」

と泣き叫んで出ていってしまったのだけど、

けろりと戻ってきてはくれないだろうかと

ちょっと期待したりしている。


少しずつ、できないことができるようになって、

ずっと無口だけど、ちょっとずつ踊れるようになって、

みんなの協力を受け取って

そして大切なことに、

彼女はレッスンに必ずやってくる。



数多ある習い事の中から、

このスポーツを選んだことを嬉しく思う。



ありえない原稿スケジュールと体力の衰えゆえ

すっかり余裕がなくなっていた。

心に住まう小人が

ずっとがやがやと走りまわっているような。



そうしてはっとさせられた、

日々のこと。






*  *


日々のこと

everything gonna be all right.



とあるライブハウスの楽屋にて。

各方面から推薦されていたラブストーリー

『天使がくれた時間』を観る。


Welcome to the earth.(地球へようこそ)

という女の子のセリフが秀逸。

そうくるか! 

説明的にせずとも、大ウソの設定を呑ませるその脚本と展開。

ははーん。

素敵だわ。



・ ・ ・



様々な思惑の狭間で揺れ動きすぎて

巷ではGWだったらしい先週から、若干消耗中。

この社会で、

全ての人の望みを叶えることはできないわけで。


じゃあ、何を判断基準にするのか。



私が言い切れば、事は進んでいく。


生じる責任から

逃げるなよ、逃げるなよ

と煮詰めて思い過ぎて

何だかもう分からなくなってきたべー。


決めた選択を

正しいものにするのが「覚悟をする」ということなのだろうな。

そんなこと、誰かが言っていたな。



思えば、私は「コンペティション」に縁のない人生を歩んできた。

習い事ものんびりやってきた。

中学では、水泳部なのに夏休みに旅行ばっかり行くものだから、

他の部員との温度差100度くらい。

タイムを伸ばす喜びに気付くことなく引退を迎えた。

高校の部活では、

「選抜チームでメンバーが引き裂かれるよりも、同学年で一つの演技を作りたい」

と生ぬるい主張をし、他の部員から

「お前なんか辞めちまえ」的罵声を浴びたりした。

(正反対の主張をしていたメンバーと、いまだに一緒に踊っているのだから

人生は分からないものである)


13年もチアをやっているため、

生粋の体育会系と勘違いされるがまったくもってそんなことはない。

(と思っている)


絶対勝つんだ!

とコンペティションに向かって

玉砕したり突破したり

そういう体験をとことんしてきた人と

してこなかった人とでは、

対応の仕方も変わってくるんだろうか

とか、いろんなことをずっとぐるぐる考えている。


「学ばせていただいている」

という気持ちで

精進するとします。


取り急ぎ。