2年が過ぎて

箪笥の服やバッグは

ある程度終わっているけれど

母がここへ嫁いで65年

あまりにも多くの物があり

まだまだ終わってない



膝抱っこが好き





ある引き出しに

しまってあった物を見つけ

その親心に切なさを感じた




間違えてる字にクスッとなったけど当時85歳の母らしいな






時々身に付けていたもの以外の

アクセサリーのことは忘れてた








大事にしようと思う



亡くなる数日前に私は

もう少しでお母さんの命が

尽きるのをわかっていた




「こんな身体で家に帰っても

〇〇子が大変で迷惑かけるから

このまま逝っちゃいたいよ。

葬式代くらいしか残してやれなかったけど、ごめんね」



と息苦しいなか言った母







「あたしが苦労かけたぶんもっと迷惑かけてよ。大丈夫だから。
家に帰ってくるの待ってるんだから」





「そうなん?

じゃーもっと生きてていいん?


だけど、お父さんと一敦(お兄ちゃん)がそこに来てるから。

4つ足も来てる(ゴンちゃんかな?)







父の時もそうだった

「お父さんな、もう死んじゃうみてぇよ。

おじいさんと一敦が窓の所、迎えに来てるから」

と、お迎え現象があった



「生きててよ。

春になったら日光へ行く約束したじゃん。

チビオも皆も待ってるんだから」







「チビ?…会いたいねぇ。

だけど言っとかないと言えなくなっちゃうからさ。いままでありがとね」

と、手を伸ばした



その手を握りながら

「うん…うん…私も言っとく。

苦労かけたことごめんね。

長い間ありがとね」




母とは決して良い関係ではなかった

お兄ちゃんが亡くなった時、母の心は壊れた

それから4年、立ち直り、私が成人になったことを喜んだのも束の間、今度は私が母の心を壊してしまった


それでも10年の間、離れた私を見放さずいてくれたことで、私は救われた


母の人生を思った時

悲しい笑顔の母しか浮かばず

なぜか「無縁坂」という歌が頭を過ぎった



それからかな、母との距離を縮め始めたのは

もちろん父も辛かったはず

親孝行し始めた頃に逝ってしまったから、父には「ごめんね」も「ありがとう」も言えなかった



だから、生きてるうちに

母とお別れの言葉が言えたこと、良かったと思う




亡くなる半年前に長瀞の宝登山神社へ


3ヶ月前には秩父三峯神社へと連れて行った


歩くのが大変で境内に入れなくても神社の周りの空気を吸ってもらいたかった



宝登山神社ではロープウェイに乗りたいと言い、頑張って緩やかな坂道を時間をかけて一歩一歩歩いた母



ロープウェイから景色を見る母が子供みたいに思えた







私が奥社⛩へ行ってる間は

ロープウェイ駅から見える山々を眺めていた母



三峯神社では訳を話し、通行許可をいただけていたので、拝殿前で母を参拝させてあげる事が出来た






境内でのお昼ご飯の時も

なんだか子供のように思えた







よほど嬉しかったのか

遺品整理中のお財布の中から

三峯神社の御守りとチケットが


あれからずっと入れていたんだろうな






それと私と2人で撮った写真も入ってた




整理してると

思い出しては手が止まり

なかなか進まない