子どもの頃よく遊んでいたお人形はタミーちゃんでした。
私には年齢の離れた兄が三人いますが、中でも一番下の兄は母にもやさしく私の事もとても可愛がってくれました。
父と母は子連れの再婚同士だったので、父の連れ子3人にとっては継母ということになり、
なさぬ仲なので大変だったそうです。(私だけが再婚後の子供です)
この兄だけは本当に素直でやさしく最初からよく懐いてくれたと母に聞いています。
あまり勉強が好きではなかったので中学を出るとすぐ本人の希望で大阪へ働きに出てしまったのですが、
兄はお盆、お正月と帰省するたびに母と私にお土産を買ってきてくれました。
兄達は私とあまりに年齢が離れているため
私が小学校に入るころはすでに三人とも社会人となっていて大阪に出ており、
私は一人っ子同然に育ちました。
もちろん兄弟喧嘩なんてした記憶はありません。
私が幼なすぎて喧嘩にならなかったのです。
ある年のお正月に兄が私に買ってきてくれたお人形が『タミーちゃん』でした。
『はいこれ。 こみきが喜ぶやろと思って……』
と にこにこしながら渡してくれた物がタミーちゃんと着せ替え用の服でした。
その頃はおもちゃなんてほとんど買ってもらった事などなく、
『ままごと』 もいらなくなったお皿やお箸・空き缶などを使い、
泥のだんごをご飯に見立て、おかずには本物のカミソリを使いかまぼこ板をまな板にして
そのへんの葉っぱを切ってお皿に乗せて遊んでいました。
なので
兄がくれたお人形を見てどれだけ喜んだ事か皆さんにも想像がつくと思います。
本当に嬉しかった♡
そんな私を兄は『こみきが喜んでくれて良かった』
とにこにこと嬉しそうに見ていた事を今でも覚えています。
画像お借りしました。
あれだけ遊んだのによく覚えてないなんて情けないですが、
もっと金髪だったような気がするんですが、これがタミーちゃんです。
兄は白いウエディングドレスを着たお人形とワンピースの着せ替えセットをくれました。
私にとっては人生における画期的な出来事の一つでした。
嬉しくて嬉しくて下手ながら、母に布をもらってはタミーちゃんの服を作ったりもしました。
もちろん 友達に自慢したことは言うまでもありません。
あれから50年以上の月日をへてなぜか我が家には今このお人形があります。
ジェニーちゃんです
かわいいでしょう

他のお人形は娘が遊ばなくなった時点で近所の女の子にあげてしまったのですが、
なんとなく私が一体残しておきたくて………
しかもこのお人形は娘に遊ばせた事はありません。
完全に私の独断と偏見で大事にとってあります。
兄が買ってくれたタミーちゃんとは全然違うと思うのですが、
多分 あの頃の私がタミーちゃんにもっていたイメージなんですよね。
金髪(本当に金髪だったかどうかわかりません。あくまで私のイメージでした)で
オシャレですっごく素敵で『こんなになれたらいいな』の超憧れの存在です。

ああ 夢でもいいから こんなにステキになりたいわ
ここで、久しぶりに大好きならっちゃん登場させます。
どうかんがえても
世界がひっくりかえっても
おかあしゃんには………
無理でっす
鏡みなはれ
見たないわ~~ 
夢の世界で生きたらしあわせやろか
現実は超厳しい……(笑)
兄は40歳で亡くなりました。
私が幼い頃、川で泳いでいて溺れた私を助けてくれたのは兄です。
たくさん人がいたのに、私が溺れている事に気づいてくれたのは兄だけだったんです。
もうダメだと思った瞬間を覚えています。
そのせいなのか今でも海水浴は嫌いです。
兄がいなければ今の私は存在していなかったかもしれません。
母と私には特別やさしかった兄。
何もお返し出来ていないのに、感謝の言葉もかけられないまま逝ってしまった兄。
兄を思い出す時、にこにこと笑いかけてくれている姿しか思い出せません。
故石原裕次郎さんと同じ病気で亡くなってしまいました。
お兄ちゃん 可愛がってくれてありがとう。
母を大事に思ってくれてありがとう。
仏壇に手を合わせる時、父母と共に毎日あなたの事を思っています。
それでは本日はこの辺でーー
増々寒くなってきて、師走感も出てまいりました。
忙しくしたくないけれど、
否が応でも忙しくなりそうです。
師も走るほどですから気ぜわしいのはしょうがないですね。
身体は大事にして、
今日も元気出して生きまっしょい!!!