主人が亡くなってから主人のものを捨てたのは…
なにひとつありません!
入院中に自ら取った食事 (飲むタイプのカロリー○イト) の
空き缶はまだ私の寝室にあります



意識がなくなって、体温の調整ができなくなって
病院で使っていたブランケットも、洗濯できるわけがない


先日、そろそろ衣替えの時期だと思って、
思い切って主人の衣類 (冬物) を

衣類用の収納ケースにしまってしまいました
まだ衣替えをしなくていいけれど
やはり主人のものを見ると辛いという思いがあります


主人の靴たちも、思い切って別な見えないところに収納しました


もしも私に何かあった時のことを考えると、
少しでも身軽にしておいた方がいいとはわかっているのですが、
まだまだ捨てる気にもなれませんし、なかなか難しい問題です


物は物と割り切ろうという気持ちと、
主人の生きた証を取っておきたいという気持ちの葛藤で

整理が進みません

 

 

皆さんはどうしているのだろう…?

4月13日に主人の百箇日を迎えました
主人が逝ってしまって、100日


百箇日はもう泣き叫ぶ悲しみからは卒業する日だという


もう大丈夫かなと思ったら、
夕方、主人をどんなに待っても帰って来ない事を突きつけられ、
世界中から見放されたような寂しさに泣き叫ぶ


100日経っても、予期せぬタイミングでズドンと落ちる…
こんな私を見て、お盆に帰ってくる夫はどう思うんだろう


主人は本当に弱音を吐かない人で
落ち込む姿も一切見せなくて、いつも明るく微笑んでいる


主人は 「悪い方向へ考えてもどうしようもないし、
なるようにしかならない」 が口癖だった


私は何もしてあげられなかった
何も理解してあげていなかった
そんな気がして、後悔ばかりが押し寄せてきて…


このブログに
正直な心根の全てを書くことは出来ませんが
がんばって近況を書いています
ウソは書いていないつもり。強がりはあっても…


泣きながら必死に運転する自分、
親友たちと笑い合える自分、
夢で主人と逢えてうれしくなる自分
やっぱりダメ… とワンワンひとり泣く自分も
 


ずっと悩んでいましたが、

親戚たちに参加していただいて百箇日に納骨しました

 


注文していた
特別なお品が届きました
子ども達の分も…




中に主人の遺骨を入れて
身につけて…


ずっと一緒。ずっと…

主人が亡くなってから、スーパーに行くのが嫌になった
お買い物をしている夫婦の笑顔を見るのが辛い
みんな幸せそう


娘に 「読んでみて」 と進められたとある本


読書は大好きなんだけど最近あんまり読めてなかったなぁ…
昨日の夜、少し読んでみた


人それぞれ
死への考え方は色々
「全部無くなる」 という意見や
「あの世は何かしらの形であると思う」 という考え方も


本の内容は信じがたいですが、
ある言葉がわたしを救ってくれた


私たちが今 (この世) を生きている理由は
訓練のためである
私たち全員、それぞれの目標をクリアすれば、

ここに居つづける必要がなくなる


「神は越えられない試練を与えない」 という言葉は、言葉通り!
その試練を越えた時点で私たちの訓練が終わり、
私たちはあの世へ逝くのではなく、帰る


じゃ、病気や交通事故で急に亡くなった人は?
何かを思い残したまま逝ってしまったのでは…?


その方々は、みんなそれぞれの目標をクリアされているんだ


私が、ひとり残されたこと
私が、今いるというのは、
私の訓練がまだ終わってないって意味なんです


でも実際は “ひとり” ではない
主人は傍にいるはず。そう思います
わたしの最強の味方になって傍に居ると思う


姿は見えないし、触れないから
寂しくて涙は滝のように流れるけど
わたしのミッションをクリアできるまで頑張らないと!


いつか
わたしに最期の時が来て
主人が会いに来てくれたら
「ずっと傍に居てくれてありがとう」
って、言えるように





読んだ本:
かみさまは小学校5年生