結構前になりますが、NHKの「swich」という番組で、放送作家の鈴木おさむさんと、教育実践家の中村賢龍さんの対談で発達障害に対する対談が放送されています。
鈴木おさむさんは、森三中の大島さんと結婚され、金スマやQさまなど人気番組を手掛ける脚本家で、中村賢龍さんは東京大学教授でROCKERという団体(全国各地の不登校の小中学生で、こだわりが強く学校にはなじめないが、ユニークな能力を集める異才発掘プロジェクト)の教授です。
その中で、中村賢龍さんの言葉で印象に残ったやり取りがあって、下記に記載します。
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知り合いの子供がカーテンに入って授業を受けている子供がいて、先生から「それはおかしい。出てきなさい」と注意する出来事があり、確かに世間一般ではカーテンに入って授業を受けるのはおかしい、という風潮があると思います。
母から「どうしてカーテンに入って授業を受けるの?」と尋ねられると、子供が「僕は書くのが遅い、椅子に座ったら授業の内容なりを書けって
言われて、一生懸命書いていると先生の話が耳に入ってこなくなるんだ。あるとき僕は気づいたんだ。カーテンの中に入ってたら書かなくていい。書かされない。しかも先生の話が全部分かる。だから僕はカーテンの中に入りたいのに、先生からダメって言われる。」
それは悲しくないか。子供が授業に参加しようとしているのに、みんなと同じようにしなければいけないから、授業が分からなくなる。できないことを追い詰められてしんどい思いをしている人たちが、社会で暴れたり、いろんな悲しい事件を起こしているということが実際にある。そうしたら、世の中の人は、その人が悪い、その家族が悪いという方向に行く。それは違って、その人を追い詰めてしまった社会が悪い。社会の排除に許せない憤りを感じる。だから、子供を変えるのではなく、僕らの発想を変えなければいけない。
子供たちの内に秘めたるものに手を貸してあげる、そういったものが必要なのではないか。
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私自身、先生の話を聞きながらノートを取るのが苦手で、先生の話をずっと聞いていたほうが授業の内容を理解できていました。
しかし、中学生になって周りがノートを取っているのに合わせて、私もノートを取るようになってからは授業に集中できない状況でした。
先生の評価として、授業中にノートを取っている子供のほうが評価が高かったと思います。
先生によっては、定期的にノートの提出を求められ、授業中にノートを取っているかどうかで評価されていました。ノートを取っている子が高評価、取っていない子は低評価でした。
授業の内容を理解できるかは十人十色で、授業をしっかりと聞いて理解できる子、メモを取ってしまうと授業に集中できない子、メモを取ることで理解できる子、など様々です。
様々な子供がいる中で、先生の尺度で「授業中にノートをちゃんと取っていたら高評価」、「授業を聞いているだけでは低評価」ということが結構あり得るのかな。。
教育の評価として、やはり一つの尺度、価値観のようなものは生じてしまうと思います。
しかし、「学び」の場で、いろんな子供がいて、「いろんな形で頑張っている」子供が評価されてほしい、と思いました。
「周りと同じように」が価値観として強くありますが、異なることも評価の対象としてあるべきなのかな。「異なること」を周りと同じように矯正すべきでなく、「異なること」を伸ばすべき指導、それが教育なのかなと感じる放送でした。