チラシの裏にでも書く。

小人閑居にして為す不善。


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【0】

沼男さんの話

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%9E%E3%83%B3



「我思う、ゆえに我在り」とかいう言葉がある。


誰が言ったかは別にいい。というかよく知らない。

いずれにしろ、「自分は何で自分なの?」と似たような

禅問答はずっと昔から続いているようで。


よくSFなんかで、

生物と機械のボーダーラインを超えたロボットなどを指して

「自我に目覚めた」とかいう表現をする。


これを受ければ、生物は「自我」に目覚めている存在ということになる。



【1】

まず始めに、「自我」という言葉を定義する。

ここで言う「自我」とは、以下の特徴を備える概念であるとする。
(宗教的・心霊的な解釈は、ひとまずしないものとします。)


①「自我」はひとりひとりに固有に宿る自己意識である。
②「自我」は宿り主の五感を通じて世界を認識できる。
③「自我」は宿り主の体を自由に操作できる。
④自分の「自我」と他人の「自我」は別のものであり、

 前述の②③を共有できない。


次に、ある一つの装置を考える。

その装置とは、俗に言う「テレポーテーションの為の装置」であり、
転送元にいる人間の体を原子・分子レベルで分解し、

転送先で再構成させる原理であるとする。
転送先には、構成材料となる原子・分子が十分に存在し、

その構成再現率は100%であるとする。


この時、転送先の体には、

転送元の体に宿っていた「自我」も転送されるだろうか?




この問いに対し、多くの人はどう答えるだろうか。
自分ならば「No」と答える。



【2】

まず感覚的に言って、

「体を原子・分子レベルで分解」が引っかかる訳で。
ここで話を終えてしまえば、

この装置は「ただの殺人兵器」でしかなくなる。
当然、「自我」もそこで途絶えると考えるのが妥当なところ。
(そこで本当に途絶えたかどうか、の議論は他に譲るとして)


更に言えば、この思考実験ではテレポーテーションの体裁を保つために
転送元の体を分解してみたが、本当はそんな必要も無い。
「転送元の人間の体の原子・分子構成をスキャンして解読し、

転送先で再構成させる装置」でもいい。

つまりは「人間コピー機」と言ったところか。


この時、転送先(コピー先)の人間は、

脳細胞の数から神経の連絡構造に至るまでの全てが同一なので
記憶の中身や思考の判断基準さえ一緒なのかもしれないが、

定義①④を考慮すれば「自我」は別のものと考えられなくもない。


とか何とかごちゃごちゃ書くと
まるで「自我」は「原子の構成」ではなくて

「原子の構成要素そのもの」に依存する様な感じがしてくる。

転送元の原子と転送先の原子とでは、種類は同じでもモノとして違うだろう、という考え方。



【3】
ところがこの仮説にそったとすると、どうにも説明がつかなくなる現象が

人間に限らず、生物の体には起きている。

それは「新陳代謝」。


生物の細胞は「新陳代謝」によって、

古いものから新しいものに入れ替わっている。
部位によって周期は異なるが、ある文章には

「5~7年周期で人間の体のほとんどの細胞が入れ替わる」とある。

細胞レベルでこの周期なのだから、

原子・分子レベルではもっと激しいのだろう。

考えてみれば、生物はたいてい呼吸していて、

常に二酸化炭素を吐いている。
その炭素の元を問えば、それは体内の有機物に他ならない。


つまりは人間の体を構成する原子・分子は、

数も種類も滞留年数も常に流動的にであり、

今、自分自身を構成している原子・分子は、

数年後にはほとんど存在していないのである。

時間軸上で断片的に比較すれば、

前述のテレポーテーション装置がやっていることと何ら変わりない。



【4】
「構成」にも依存していない。
「要素」にも依存していない。
では一体、「自我」とは何に依存する存在なのか。


ここまででも十分強引だが、
ここから先は更に超絶ハンドリングで乱暴に論展開する。



【5】

どうするか。

とりあえず、「自我」の定義に注目する。

「自我は人間ひとりひとりに固有に存在する」ということは。
つまり、「自我」は数えられると言うことである。

数えられるのは何故か。離散的だからだ。
これは感覚的に言っても納得しやすい。

100人いれば、100の「自我」がある。当然だ。

離散的ということはどういうことだ。

そう、「自我」はある種の「粒子」ととらえられるだろう。


この辺からもう、話が怪しくなってくる。でも続ける。


「自我」に「粒子」としての特徴があるのはわかった。皆まで言うな。
じゃあ逆はどうだ。

「粒子」の逆と言ったらそうだ「波」だ。

「自我」の「波動性」だ。

「波動性」って何だ。
例えば「音」は「波」だ。

「音波」の媒介は空気だ。
「音波」は時間が進むにつれて移動する。
でも空気がそのまま移動して「音波」を運んでくる訳じゃない。
媒介である空気は「音波」を伝えるだけの働きを持つ。
「音波」はエネルギーだ。つまり「波」とはエネルギーの伝わりのことだ。
「波」によるエネルギーの伝わりは媒介の追従移動を意味しない。


続ける続ける。


「自我」をエネルギーと考え、「波動性」について考えよう。
「自我」の媒介は何だ。肉体だ。つまり原子・分子だ。
「自我」は時間が進むにつれて移動する。ゆりかごから墓場までだ。
でも原子・分子がそのまま移動して「自我」を運んでくる訳じゃない。
媒介である原子・分子は「自我」を伝えるだけの働きを持つ。
「波」である「自我」の伝わりは、

媒介である原子・分子の追従移動を意味しない。


これでどうだろう。
つまり「自我」は「粒子と波動の二重性」を持つと言う量子力学風の仮説。


問題提起から帰結に至るまで、

終始めちゃくちゃな駄文で進めてきたが、
案外捨てたものでもなく、

「テレポ問題」と「新陳代謝問題」を同時に、こじつけ解決できる。



【6】
まず冒頭の「テレポ問題」。


転送先の原子・分子に「自我」を伝えたい訳だが
「波」を伝えるためには媒介が離散的であってはならない。
糸がつながっていない糸電話のようなものである。
この装置では転送元の体の分解と、

転送先の体の再構成に連続性が無く、
離散的なので「自我」は伝わらないと片付けられる。



【7】

次に「新陳代謝問題」。


ここでの問題は、

過去と未来で物質そのものが完全に入れ替わっちゃったけど
じゃあ「自我」は何に依存してんのよ、ってな話な訳だけども、
「自我」は「波」でもあると仮定してしまったので、
原子・分子は媒介として「自我」を保持・伝達できれば、

他の原子・分子と入れ替わっていてもかまわない。
時間軸では連続性が保たれており、「波動性」で片がつく。



【8】
今回のお題は、

この「新陳代謝で体がまるごと入れ替わる」という

事実をじっくり考えたときに、
じゃあ今世界を認識しているこの自己意識はどうなっちゃうのよ、

という疑問符からスタートしている。


冒頭の沼男さんにもあるように、

世の中には似たようなことを考えてる人がいっぱいいるようで。




【9】

結論。

生物って不思議ね。



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