”ただ真ん中にいるということ。” | 彩色兼美ーさいしょくけんびー

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生年月日よりわかる【あなたの生まれ持った資質・人生の流れ】鑑定セッションをご提供しております。

 

これは去年書いた記事です。

 

 

日々、セッションをさせていただいていて

「執着する」ということについて

目にすること

考えることがあります。

 

子どもに執着してしまって

その子の人生に

手出しをしてしまったり

 

手出しはしなくとも

離れていくことが

辛くて

眠れなくなったり。

 

子どもでなくとも

身近な存在が

辛い思いをしていたりすると

愛情があるが故に

 

その本人になりかわって

解決をしようと

奔走したり。

 

 

 

身体のお稽古をしていた時に

とても印象深かったのが

 

「何もしないでいること」

 

でした。

 

ただ「見ている」

 

 

そして

身体の中のわずかな動きを感じて

 

それがどちらに行きたがっているのかを

静かに観察している。

 

 

起承転結が

わかりやすい時もあれば

何かが起こりそうでいて

大きく変わらない時もある。

 

そういう時も

ただ見つめている。

 

 

そうすると

そのほんのわずかな流れは

その時に1番そぐう場所へ

収まるところへ収まっていく。

 

 

場合によっては

行きたがっている方向への

ちょっとした後押しは

する時もある。

 

でもそれは

ほんの指一本くらいの

ささやかな、ささやかなもので

 

 

間違っても

こちら側が

導きたい方向へ

強引に引っ張っていくということは

しないのです。

 

 

それは

操作、になってしまうから。

 

操作されたら

それは

その本人の人生ではなくなってしまいます。

 

 

ただ見ているということは

時に1番辛く

難しいことですよね

人間にとっては。

 

 

でも

流れは必ずある。

どのひとの身体の中にも

人生の中にも。

 

今は止まっているように

見えたり

向かい風が吹いているように見えても。

 

 

そして

ただ見ているだけであっても

それが最善であるということも

あるのではないか

 

そんな風に

感じています。

 

 

(あ、もちろん命に関わるような

緊急的な場合はまた別の話ですけどね

そういうことではなくて)

 

 

 

私たちは

つい、解決しようとしてしまう。

 

その状態を

よろしくないものとして

問題視して

良い方へ、と。

 

でもそれって

本当に解決するべきことなのか。

 

実は何も

問題ではないのではないか。

 

それを問題と思っているのは

自分だけなんじゃないか。

 

となれば

見るべきは相手ではなく

自分の中なのではないだろうか。

 

なんてことをね

つらつらと感じたりします。