レオンは新宿御苑の近くを歩いていた。今日は金曜日、この近くのお客さんに外車の納車に来ていた。お昼の2時頃にお宅に伺ったものの、お客さんと話しが進み、2時間近くを費やしてしまった。でもおかげでお客さんを紹介してもらうことが出来ることになった。その人はこの近くに住んでいたものの、少し田舎の方に引っ越すことになった。この付近の土地は高く、高額で売買されることになり、税金に取られるより高級な車を買おうということになったらしい。

ご主人はまだ50代で最近は車に乗る機会も少なかったが、引っ越す郊外の家では車が必要になったようである。もちろん若い時はホンダのスポーツカーにも乗っていた経験があったようである。奥さんはベンツが欲しいと言っているとのことだった。事故の時、助かる可能性が高いと信じているようだったとそのお客さんは笑っていた。

レオンは奥様の簡単な手料理をご馳走になった。兎に角、レオンにとってはいいお客さんだった。ご主人はレオンの対応をとても褒めていた。車に詳しいこと、親切であること、いろいろな話題をもっていること、真面目過ぎないところも気に入ったようである。レオンはお客様に対して積極的に買うことを薦めない。そんなところがお客さんの心を掴んでいるかもしれない。

「レオンさん、お茶でも飲んでいきませんか」と後ろの方から誰かに声をかけられた。確かに以前に聞いたことのある声だったが、直ぐには思い出せない。後ろを振り向いたもののそこには誰も居なかった。そして再び歩き始めようとしたら、目の前に西山仙市さんが立っていた。

「えっ、西山さんじゃありませんか、西山仙市さんですよね」とレオンは少しビックリした様子である。「レオンさん、お久しぶりです。ちょっとお話したことがあってやってきました。いつもの喫茶店でいいですか」とレオンに聞いた。レオンは「もちろんです」と答えた。

一瞬、目の前の風景がボヤっとしたものの、なにが起きたのかはレオンは気づかない。レオンは西山さんの後についていくことにした。するとそこは例の喫茶店だった。オープンテラスの喫茶店にはお客さんは少なかった。西山さんは奥の方の四人がけのテーブルのところに行き、「レオンさん、どうぞ」と席を薦めた。

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「ここは、・・」とレオンは喫茶店の周りを見渡した。「以前、福島さんと三人でお茶を飲んだ喫茶店です」と西山仙市さんはニコニコして反対側の席に座った。そしてウエイトレスを呼んだ。「レオンさん、何にしますか、・・・どうでしょうたまにはケーキも食べてみませんか」と西山さんが薦めた。

「それではコーヒーとシフォンケーキをお願いします」と答えた。西山さんはウエイトレスを少し待たせて「うーん、何にしようかな・・・・、ロイヤルミルクティーにチーズケーキがいいな」と答えた。「かしこまりました。それではしばらくお待ちください」と言ってカウンターの奥に消えた。

「レオンさん、お久しぶりです。お元気でしたか」「西山さん、こちらこそです。もうこちらの世界にはもう来られないと思っていました。それにしても以前より少し若くなったんじゃありませんか」とレオンは尋ねた。「レオンさん、よく分かりましたね。そうなんです。6歳ほど若くなったんです。でも私の世界ではあまり関係はないんですが、こちらの世界では多いに関係があるんですね」と笑っている。

「そうそう、この前、福島さんに会いましたよ。私が来る前に福島さん現世に来ていたそうです。京都の奥さんの家に行ったようなことを話していました。真一郎君の寝顔を見て来たと言ってました。本当は昼間に行って遊びたかったようですが、別の用事があったようなんですよ。でも彼は詳しくは話してくれませんでした」と西山さんはご機嫌な様子である。

ウエイトレスが飲みものとケーキを持って来た。「お飲み物はおかわりが出来ますのでどうぞ」と言って戻っていたった。西山仙市とレオンはロイヤルミルクティーとコーヒーを手にして飲み始めた。そして時々ケーキをフォークで分けて食べた。意外に美味しいケーキである。

「レオンさん、実はお願いがあって来たんです」と西山さんはやや真剣な表情を見せた。「なんでしょうか」とレオンも真面目な表情をしていた。「実は、スプーンのことなんです」レオンはスプーンと言われて、ソーサーの上にあるスプーンを見た。「いやそのスプーンではなく、藤木香留麻君が持っているスプーンのことなんです」レオンは西山さんの言おうとしていることの真意を掴めなかった。

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「レオンさん、今度レオンさんの家に、みんなで集まる機会があると思います。有林貴美子さん、真一郎君、雅子ちゃん、それに藤木香留麻君に叶野未知さん、いや藤木未知さんですね。それに橘玲子さんに優花さんです」「それは何時頃の話しですか」とレオンは質問した。

「私もいつかとはハッキリ分かりません。藤木香留麻君にスプーンの話しをしてほしいのです」「西山さん、それは私が最近よく見る夢のことですか。みんなが集まったところで私が藤木香留麻君にスプーンの話しをして、そのスプーンを真一郎君が雅子ちゃんの額の部分にあてる夢なんです。西山さん、この夢のことですか」とレオンはややビックリした表情を見せていた。

「そうなんです。その集まりの時、夢で見たスプーンの話しを藤木香留麻君にしてほしいのです。それだけでいいのです。後は自然にレオンさんが夢で見たとおりになります。雅子ちゃんは天界、つまり魂の世界がこの世に遣わした人であり、魂でもあるのです」「そうなんですか、雅子ちゃんはそんな存在だったんですね・・・」

「藤木香留麻君が持っているスプーンは、実はとてもめずらしいものなんです。魂の世界の物質を現世には決して持ち帰れないのです。それがどういう訳か藤木香留麻君がやってしまったんです。無意識のうちにやったので成功したのかもしれません。つまりあのスプーンには私達でも知れない能力があるのです。現にレオンさんが事故に遭遇した時、藤木香留麻君はあのスプーンをレオンさんの胸元に置き、レオンさんの怪我を治してしまったんです」

「そうだったんですか。私自身も不思議な気持ちでした。事故を目撃した人は、もう助からないと思ったそうです。勿論、私を治療した医者も何度もおかしい、どうしてなんだろうと呟いていました。そのスプーンにはそんな力があるんですか・・・・」

「そうなんです。藤木香留麻君は気づいていないのですが、あのスプーンには底知れない力が存在しているのです。天界から派遣された雅子さんは、そのスプーンを唯一コントロール出来る人なんです。もちろん、そのようなことは雅子さんが大きくなってからのことですが・・・」

「西山さん、現在、藤木香留麻君が持っているスプーンは、雅子さんが大きくなるまでにまだ随分時間があるように思うのですが、大丈夫でしょうか」とレオンは神妙な顔をして聞いた。「それは大丈夫です。藤木香留麻君と叶野未知さんのお子さんがそのスプーンで遊ぶこともあると思いますが、至君、つまり藤木香留麻君と叶野未知さんのお子さんのことです。男の子なんです。彼はあのスプーンの暴走を防ぐことが出来る唯一の人間なのです」

「なんだか、複雑ですね。藤木香留麻君と叶野未知さんのお子さんのことってもう西山さんのような人達には分かっているのですか」「もちろん分かっています。でもそれは大した意味をもつものではありません。藤木香留麻君と叶野未知さんは気になっていると思うのですが、いずれ分かることです」

「西山さん、私達が今度集まる時って、もしかしたら、藤木香留麻君と叶野未知さんのお子さんも生まれていて、みんな一緒に集まることもあるんではないでしょうか」「そうですね。そんなことも考えられますね」「そのスプーンの奪い合いにはならないでしょうか」

「レオンさん、よく気づきましたね、そうなんです。多分、ある儀式の後は雅子ちゃんと至君のスプーンの奪い合いになると思います」と笑いながらうなずいていた。「大丈夫なんでしょうか」とレオンは心配そうだった。「レオンさん、大丈夫です。あのスプンは折り曲げても、引きちぎっても、しばらくすると元に戻るはずです。それくらい不思議なものなんです」レオンは妙に納得していた。

「レオンさん、お願いがあるんです。新宿のあの質屋は覚えていますか」「もちろんです。陽気な若旦那のいる古びたお店ですよね。新宿警察署の近くだったと思いますが・・・」

「そう、そこなんです。そのお店に古い江戸時代のキセルのセットがあるんです。それを買っといていただけませんか。多分5千円程度だと思うのですが・・・・」「その程度の金額なら問題ありません。でもどうして・・・」「それにはいろいろと事情があるのですが、今、その事情をお話することが出来ません。結構複雑なお話なんです。でもいずれはレオンさんにも詳しく説明する時が来ると思います。それから、もう一つ、レオンさんはその質屋で何かを見つけて購入すると思います。それは大事なものなんです。迷わずに買っといてください。レオンさんにもレオンさんの家族にもいいものなんです」「そうなんですか、そしたら買っておきます。でも何なんでしょうか。西山さんは知っているんでしょう」「もちろんですが、レオンさんは知らない方がいいと思います」と西山仙市は笑った。

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「ところで西山さん、私は初めてお会いした時から、不思議な人だなと思っていたのですが、西山さんはどんな人なんですか」レオンはやや怪訝そうな目をしていたが、その目の半分は笑っていた。「レオンさん、私は何処にでもいる普通のおじさんです。私のいる世界が魂の世界であり、私の場合、この世にもあの世にも存在することが出来るだけなんです」「西山さん、それは普通ではありませんよ。この世では、言わば仙人なんです。そう云えば、西山仙市さんの名前には仙人の仙という文字が入っていますね・・・」

「レオンさん、そんなに私のことが知りたいですか」「知りたいです」と真面目な顔をしているレオンを見て「そうですね。閻魔大王は知っていますか」「もちろんです。地獄の門のところにいる・・・」「あれと反対の存在と考えてください」「反対の存在?・・・つまり、悪い人ではないということですね・・・とは言っても・・・」と困ったようなレオンを見て西山仙市は嬉しそうに笑った。