父ほえるにキキ訝(いぶが)しがる

およそ2千5百年ほど前の孔子や孟子の考えたこと、思ったことを現代の人と比べても大した違いがないと父は言う。それどころか心に関しては進歩していないと断言できるそうだ!

時代が進むことによって人の頭が良くなるわけではないが、蓄積した知識は様々なものを発見したり発明したりもする。それらよって人類は便利な生活をしていることになるが、必ずしもそれが幸せとは限らない。お金持ちだけが幸せという訳ではないのと同じでもある。都会に住む人だけが幸せで、未開に住んでいる人が不幸せということもない。

人の喜怒哀楽、妬み。嫉み、などの人の営み・・などは孔子や孟子の時代とほとんど変わっていない。人の気持ちを分析的に見れば現在の人が劣っているかもしれない。

キキは漠然とではあるが、孔子や孟子の時代にも、妬み、嫉み、逆恨みなどの気持ちがあったことに不思議とは思わないものの、現在はもっと進化した気持ちの状態などもあっていいと思うものの、何も出てこない。つまり、そのようなことを表す言葉も増えていない。では人はなにが進化したの?と考えてみても、思い当たる点がない。あるとすれば物質文明の産物である携帯電話ぐらいであり、孔子や孟子の時代には無かった。あったとしても意味を成さないだろうと思った。

父も昔は、3000年前の人と現代の人では現代の人が優れていると思っていたそうである。しかし、いろいろと勉強している中で、そうでないことが分かってきたという。むしろ現在の人が劣っている面も多いという。感性の豊かさ、感情の表現、態度などを考えてみると、恐ろしくなるほど失ったものが多いという。

昔の人の本と知識との関係を如実に表した言葉がある。
「考えずに本ばかり読んで安心していると、本の知識に縛られてしまい、新しい発想などが出来なくなってしまう。逆に本を読まないで、考えてばっかりだと、妄想や、幻想など知識に根付かないものにとらわれしまう」というものである。数千年前の人がこのようなことを考えていたと思うだけでおそろしくなる。と同時に現代人が思考の上においてもいかに進歩していないかも実感する。

父いわく、「本を読むのも良いがそれだけではダメ。考えるのも良いがそれだけでもダメ、しっかりとした知識を得るために本を読みなさい。そして考えなさい。本を読むのは書いた人と会話するのと同じだ」と・・・

今日の父は張り切っている。キキは久しぶりにほえている父を見た。

(つづく)