窓の外の台北の街角には、星のように点々とクリスマスのイルミネーションが灯っている。でも私の心の中で、今日の本当の祝日は冬至だ。
スマートフォンの画面では、会社のグループチャットに湯圓(タンユエン)の写真が次々と流れてくる。あずき、ピーナッツ、黒ごま——各部署がそれぞれ違う味を作っている。私は音声入力のボタンを押して言った。
「みなさんお疲れさまです。たくさん食べてくださいね。一年中、甘くありますように。」
送信。
スマホを置くと、オフィスは再び静かになった。
40歳になった私は、自分で15年間必死に築いてきたこの会社に座りながら、ふと祖父の、分厚いまめだらけの手を思い出していた。
子どもの頃の冬至、祖父はいつも私の手を引いて、路地の角にある古い店へ連れて行ってくれた。祖父の手は大きくて温かく、私の小さな手をすっぽり包み込んだ。店の中では湯気が立ちこめ、ガラスが曇っていた。祖父はいつもあずきの湯圓を一杯頼み、素焼きのスプーンでそっとかき混ぜ、冷ましてから私の口元に運んでくれた。
「円満円満だ。」祖父はいつもそう言った。
「湯圓を食べたら、また一つ歳をとるんだ。」
あの頃は、時間というものは器の中の湯圓のように、数えられるほどしかなく、どうやっても食べきれないものだと思っていた。
創業して13年目。会社は大きくはないが、150人余りの社員がいて、まるで一つの大家族のようだ。この数年で、私は財務諸表を見るだけで手が震えていた若い女性から、銀行の融資審査にも落ち着いて向き合える経営者へと変わった。
変わったものもある。目尻の細かいしわ、ますます欠かせなくなったコーヒー、交渉の席で以前よりも落ち着いた声。
でも、変わらないものもある。冬至には必ず湯圓を食べること。利益は高くても初心に反する案件は受けないこと。祖父が言っていた「商売は人としての在り方と同じで、誠実でなければならない」という言葉。
床から天井までの窓の外で、101ビルが夕暮れの中に灯り始めた。私は立ち上がり、引き出しから一枚の古い写真を取り出す。家族写真で、背景には、もうなくなってしまったあの古い湯圓屋が写っている。
スマホが再び震えた。生産部の林マネージャーからだ。
「社長、まだ会社にいらっしゃいますか? ごまの湯圓を一杯多めに作ったので、お持ちしましょうか?」
私は笑って、文字を打った。
「お願いします。待っています。ありがとう。」
待っている数分の間、私は窓辺に立った。この街、この島は、私たちと一緒に風雨を経験し、同時に陽の光も分かち合ってきた。祖父たちの世代がこの土地に根を下ろし、年を重ね、世代をつないできたように。
ビジネスの世界に、天地を揺るがすような伝説はない。あるのは、日々の当たり前の一日をきちんと生き、小さな約束を一つ一つ守ることだけだ。
林マネージャーが軽くノックして入り、湯気の立つ湯圓を一杯差し出した。白くふっくらした団子が、黒糖の汁の中で浮き沈みしている。
「今日は早めに帰ってくださいね。」私は彼女に言った。
「家族と一緒に湯圓を食べて。」
「社長も早くお帰りください。」
オフィスには、また私一人だけが残った。
私は湯圓を一つすくい、そっと息を吹きかける。立ちのぼる湯気が眼鏡を曇らせた。それは、子どもの頃、あの古い店のガラス窓が曇ったのと同じだった。
黒ごまの餡があふれ出した瞬間、甘い香りが口いっぱいに広がる。
そのとき、祖父が言い切らなかった言葉の意味が、ふと分かった。
湯圓の「円」は、円満を願うだけでなく、巡り続ける軌跡なのだと。日々は一日一日積み重なり、冬至は一年一年巡ってくる。消えてしまった店もあるが、この碗の中の甘さのように、受け継がれていく記憶もある。
この台湾という土地で、私たちは懸命に生き、真剣に商いをする。祖父が技を次の世代に伝えたように、私は会社の理念を若い同僚たちに伝えていく。
新しい一年が、またやって来る。
窓の外では、街の灯りが一つ、また一つと灯っていく。その一つ一つの光の向こうには、きっと一杯の温かな湯圓があるのだろう。
最後の一粒を食べ終え、私は写真を引き出しに戻した。
灯りを消して部屋を出るとき、こう思った。
かつて多くの出来事が私を悲しませ、多くのものを失わせたかもしれない。
それでも新しい年は必ずやって来て、新しい一日は必ず夜明けを迎える。
約束を守り、この事業を受け継いでいくことこそが、何よりも大切なこと。
それが、私の夢なのだ。






