I am what I am. Take it or leave me alone.

I am what I am. Take it or leave me alone.

あたしは 自分の勘を信じてゆきます

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今日ようやく落ち着けた気がします。まだまだ年越し前にやることはたくさんあるけれど、心の中の整理の方が先に終わりました。もやもやしたものがずっとどこかに引っかかっていたけれど、その正体もようやく分かりました。それは、きっと自分自身の幼稚な恐怖と、ちょっとの戸惑いと、当たり前が当たり前になってしまっていた事実が招いたものだったんだと思います。結局、誰かからもらった悩みではなく、きっと自分自身の問題だったんです。私がまだ、何にも知らない子供だったから、気が付かないうちに招いてしまって、心の中に飼って、勝手に大きくしてしまった。

でも、今回のことは私にとても嬉しい自信をくれました。それは、自分を支えてくれると信頼できる友の存在を私自身が疑わなかったこと。絶対的な信用ができたこと。もう、これ以上嬉しいことはないですよね。

どんどんどんどん自分の中の大事なものが増えていって、考えるだけで、自然と笑みがこぼれてしまうような、そんな存在で自分の中の空間が全部埋まってしまえばいいのにって思う。こんなものを私は欲しかったんだって今になってやっと分かる。どうしてだろう。誰かを、自分以外の人を、こんなにも信頼できるって、本当に本当に幸せなことだね。だから、私は信用した人にはどれだけだって裏切られてもいい。裏切られて、絶望させられたっていい。矛盾してるかもしれないけど、裏切られたって、嫌いだって言われたって、その人の中にある言葉では言い表せない、その人の“何か”を私はずっと好きでいる自信があるから。

自分を好きでいてくれるから、自分を大事に想ってくれるから、そんなことの見返りに私も好きでいるわけじゃない。それを、私自身、絶対的に信じてるから。

こんなに素直じゃなくて、特に何かできるわけでもなくて、強がることしかできない私だけど、そんな人達のためだったら、何かできる気がするんだ。いや、しちゃうんだと思う。ただ、ほんとうに、その存在自体が嬉しいから。

大事な思い出とか、言葉とか、気持ちとか、会話とか、人とか、そういうものを持つには限界がある。そういうものを一人で持つには、限界がある。でも、本当に一人だったらそんなに持つものなんてないんだよね。誰かがいて、初めてもらうことができる。そして、抱えきれないくらいいいものたくさんもらったら、それを捨てる必要はないんだと思う。たぶん、みんなが支えてくれるから。零れ落ちていったりなんかしない。

そんなことを言える自分が、嬉しい。今まで全然気が付かなかった自分がすごく情けない。自分がこんなに子どもだったから、いいものたくさんもらっていたとしても全然気が付かずに過ごしてきたんだろうな。


大人になると友達が少なくなるとか、できなくなるとか言うけれど、この言葉には「友達という言葉では言い表せない新しい形の大切な人ができる」っていう意味もあるんじゃないかと思う。家族とも、友達とも、恋人とも、同僚とも違う、新しい形が。その形をどういう言葉で表すのがいいのかはまだわからないけど、その内きっと分かるようになっていくんだろうな。



それから、ちょっと早いけど、こっちにいる夜が今日で最後なので、今年を振り返ってみようと思います。

新しい生活を無理やり「楽しかった!!」とか「充実してた!!」とか言うこともできるんだろうけど、それじゃああまりに適当で雑な感じがする。そうじゃなくても、完結型の言葉じゃなくて、もっとまだまだ続いていくような言葉がいい。もっともっとここでこの時間を過ごしていきたいけれど、もっともっとずっと先も見てみたいと思えるようなそんな時間だった。私は、ここで、今、しないといけないことがたくさんあることが何よりもすごく、ただただ嬉しいんだよ。

私がここにいることが当たり前になったこと。
私がここでやることがたくさんできたこと。
私がいつかここを離れること。

そういう、当たり前が当たり前になったことに、今はただ喜びしか感じない。今、こうしていられることに。確かに、世の中の大学生の中でみたら“充実”していないかもしれない。“うらやましがられる”ような生活を送ってないかもしれない。でも、そんなこと考えるだけ損だと、思う。そんなこと、言ってしまえばどうだっていいんだ。人にはそれぞれ幸せの形がある。それを見つけられたことに、それ以上最高の価値があるだろうか。


私はまだまだ知らないことがたくさんあって、他人から見ればただのバカかもしれない。それでも、これからもっと自分は色んなことを見て、体験して、その度勝手に壁にぶち当たって、時間がかかってでもそれを乗り越えて、成長していけるんだと思う。


あっという間に秋が終わって、どんどん寒くなって行く中で、何かが動き出している気がしてる。それは、自分の中のことだけなのか、周りの人間関係をも巻き込んだことなのか、それはまだ分からないけれど、確かに“それ”は動き出そうとしていると思う。“それ”が目に見えて分かった時、果たして今の自分の選んだ選択の結果が分かる気がする。ほんとうに少しの予感でしかないけど。

人には、それぞれ生まれた環境と、生きてきた記憶があるということを身に染みて感じることが、最近になってまた多くなった気がする。

人間関係は大人になるほど難しいと言う。それを、今までの私は悪いことだと思い込んでた。大人になると、実際に手に届く世界の大きさを、テレビとかインターネットで知った世界の大きさと同じに思ってしまって、身近な人や物の大切さが小さく見えて、霞んでしまうのだと……。だから、みんな自分のプライドとか、心とか、未来とか、そういった類のものを守るために、人間関係を使うようになるのだと……、そう思っていた。

でも、それって、やっぱり違うのかも知れない。そういう類の人達がいることを否定することはしないけど、人の感情っていうやつは、もっと複雑なんだってことを知ったら、もう後戻りはできなかった。昔みたいに、単調な物の見方をもうすることはできない。

自分が正しいと思うことだけをすればいい。それはやっぱり少し、いや、かなり極論だなと思う。だって、自分が正しいと思うことをしたところで、その結果が本当に自分の望んだものになるだろうか。自分も、周りの大切な人もみんな納得してくれる、そんな結果になるだろうか。例えば、友達が何かで悩んでいたとして、その友達を自分は助けたいと思ったとして、隣に座って「どうしたの?」と問いかけることが本当に正しいことなんだろうか。その時は、自分を気にかけてくれる人がいたことに、その友達は少しでも嬉しいと思ってくれるかもしれない。自分も、友達の力になれたと思うことができるかもしれない。でも、その友達の話を聞けたとして、「どうしたの?」と声を掛けた自分に、その友達を悩ませている事柄を失くしてあげることができるのだろうか。また、優しく聞いてあげることがその人のためになることなんだろうか。

その人が自分にとって大切であればあるだけ、正しい選択なんてものは分からなくなってしまわないだろうか。大人になるにつれて、少しずつ新しい感情とか経験とかそういうものを蓄えていくから、自分がとるべき行動の選択肢が増えすぎてしまう。だから、ある人は諦めてしまう。その膨大な選択肢の中から、自分がとるべき行動を選び取るのを、あきらめてしまう。結果、一番幼稚で簡単な選択肢を乱暴に選び取ってしまう。それを、「自分が正しいと思ったことだから」と無理やり理由をつけて。けれど、私はそれを責めることはできないから、もう、これ以上自分を甘やかしてしまうことがないように、自分で自分を律していくしかない。

そう、本題からずれてしまったけれど、人の感情や選択肢の量に際限がないのなら、それ量の多さだけ、人との関係が難しくなってしまうのかもしれない。自分が今自分にしてあげたいこと、自分がこの先の自分のためにしたいこと、自分が選べるもの、自分がその人のためにしてあげたいことと、その人のためになるって思うことと、現実と、時間と、過去と、そんなたくさんの視点からみた“自分がとるべき最善の選択”なんて一致しないに決まってる。

だから、次にこんな選択をしないといけない。
「どれを、誰を、切り捨てるのか」

そんな血も涙もない、それでもそうせざるを得ない決断をしなくちゃいけない。

多くの人は一体何を選ぶのか。それを知る方法を私は知らないし、知ったところでどうするでもないんだけど、それでも、すべての視点から見た最善の選択肢をひとつ残らず選び取れる人なんて、そうそういるもんじゃない。だから、みんなこの選択を知らず知らずの内にする。自分を選ぶもよし、他人を選ぶもよし、今を選ぶも、未来を選ぶも、よし。どれを選んでも誰も責めることはできない。

そして、膨大な選択肢の中で自分が進むべき方向を決めたのなら、またここで迷わずいいたい。
「自分の正しいと思うことをすればいい」と。



私が今の私に言えることは、まあ、だいたいそんなこと。
ずっと分からないでいたこと、ずっと迷っていた選択が、色んなことを学ぶたびに分かった気になったり、それでもまた分からなくなったりを繰り返して、私の頭から消え去ってしまう前に、私がその迷いを忘れてしまう前に、一度区切りを付けなければいけないのかもしれない。それが、今なのかもしれない。でも、私は自分でも呆れるくらいにわがままで、どれも捨てられないでいる。全部を選び取れるだけの能力を私は持っていないから、必ずどれかを選ばないといけない。できるだけ、たくさんのものを持てるように、がんばってきたけれど、やっぱり限界は見えてくるな。いや、違うな。持とうも思えばたぶん多くの物を捨てずに済む。でも、細い細い糸で一つ一つをくくって、それらを、自分の大切なものを地面に引きずりながら、無理やり引っ張って行く形になってしまう。それに、一つ一つと触れず時間が本当に短いものになって、いずれは、みっともなくくくりつけていた糸が切れてしまっても、それに気が付かないくらい、存在自体が風化してしまう。それって、ほんとに悲しいことだと、寂しいことだと感じたから、もうしないんだと思う。私もやっぱり、所詮自分が可愛いんだ。


ああでも、ほんとこれだけはどうしたらいいのか分からない。自分に近ければ近いほど、分からなくなる。すべての視点が全部真逆を向く。こういう場合、いったいどれを大事にしたらいいんだ。自分を犠牲にしたところで、その人のためにはならないし、かといって、相手のことを犠牲にしたとして、それはやっぱり自分にとっても辛すぎる。でも、ちゃんと向き合っていかないと、ちゃんと背を向けないでいないと、今まで自分がしてきたこと、自分が選んできた道が全部きれいごとになってしまう気がして怖い。そして、なにより、いや、この先は言っちゃだめだな。愚痴になっちゃうし。

うわーーー。こういうんが矛盾って言うんだろうな。笑
がんばります。もっと、大人になります。


今日は涼しい夜だ。ここ最近ほんとずっと休んでいたから、もう動き始めないとって思う。でも、その前に今のことを書いておこうと思う。

私はまだ何もできない。やりたいことっていうのも明確に頭の中に示されていない。そんな不安定な思考の中で、多くの人の考えって言うのを聞いて、「ああ、やっぱり人って違うな」って感じた。どんなものに、どんなことに価値を見出すのか。同じ景色を毎日見るだけなのに、最初に視線を置く場所が違うだけで、こんなにも考え方とか価値観が変わってきてしまうんだ。でも、それは受け入れるべき対象で、考えたり、悩んだり、面倒臭がったりする対象じゃない。

価値観と同じように、やりたいこととか、できることとか、そういうことも、それは受け入れる対象で、考えたり、悩んだり、もちろん面倒臭がったりする対称じゃないと私は思う。今、この瞬間に自分ができることの限界を知っている人が一体何人いるだろう。自分の一番やりたいことの全てを見つめていられる人が一体何人いるんだろう。そんなこと考えなくても分かる。だから、悔しかったり、悲しかったり、絶望したりするんだ。いっつも自分の周りでは自分だけが辛くて自分だけがに運がなくて、自分だけに世界は冷たい。そう思う人が多すぎる気がする。

どうしてそう思うのかな。どうして“受け入れる”ということをしないのかな。今自分が何もできないこと、今目的を見失っていること、そんなこと考えたって答えは得られない。無いものねだりをしている。そんな人が私は嫌いです。一体どうなれば満足するんだ。他人からがんばっているねと言われれば気が済むのか。可哀そうだねと同情されれば頷くのか。大好きだと言われれば鼻高々なのか。無いものねだりをした末に、努力をしない人は相手にならないけれど、ちょっと努力をして、すぐ「どうせ」とか「めんどくさい」とか口にして、“自分はがんばったけど、がんばってもできなかったのは自分のせいではない”と言うかのように自己防衛に移る人は、もういっそそのままどっかに埋もれて生きていけばいい。

前にも、選択ということを書いたけど、生きていくのは選択の連続である。それは見なかったことにはできない言葉だと私は思う。どんな選択をしたとしても、それがどんなに自分にとって辛くとも、大切な誰かにとって辛くとも、そうなることを選択したのは自分なんだから、それに責任を持つことは当然じゃないのか。

本当に恨むべきは、本当に悔やむべきは、きっと自分の選択1つでは何も変わらないことだけなんだと思う。


と、そういうことをいうと決まって言われることがある。「正しいことばかり言うよね」って。そんな風に言われる筋合いは、ない。って笑ってやりたい。さも自分は辛く大変な経験をしてきたから、汚れないと生きてこられなかったと言いたいかのように、自らを蔑む人にそんなことを言われる筋合いはない。その人達の中に、本当に辛く大変な経験をした人っていうのは、全体の数パーセントにも満たないことを学んだ。知りたくなかったけれど、知ってしまった。そんな気がするだけかもしれない。それでも、私は“知ってしまった”。

だから、私はもう期待という甘い考えは持たない。無いものねだりはしない。できない言い訳を、成しえなかった責任を、自分以外の何かに押し付けたりはしない。でも、自分がうまくできなくとも責めることはしない。それもまた、受け入れるべき対象で、考えたり、悩んだり、面倒臭がったりする対象じゃないから。



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自分で考えて、自分で行動して、自分の限界を知って、自分のやれることをやる。そして、最後はしっかり、責任を取ることができる。
そんな人になりたい。それが、本当の自由な人って感じがするんだよね。

やっぱり、どんなに多くのことを考えてもさ、根本的なことは変わらないよね。人間だし。欲望にはある程度忠実だ。自由でいたいっていう欲には。