こんにちは ルーシャリーです
今回は愛する祖母の話です。
どんな人間でも
私の育て親でもあった祖母
10年前に他界しましたが
今でも夢によくでてきます。
一言で うちの祖母
クレイジ〜!!
そんな祖母に育ててもらった
私も もちろん
クレイジーなのかもしれません
自覚ないけど(笑)
うちの祖母、
何がクレイジーって…
例えば
私が中学生の頃
毎回喧嘩する度に包丁を持ち出して
「死んでやる〜!!」
死んだ事はありませんが(笑)
と脅す
こわいこわい
どんな人間でも
クレイジーになるには
それなりの理由がある。
彼女は私たち世代では想像も出来ない
辛い経験をしてきました。
まず戦争…
8人兄弟の5番目に生まれた彼女は
家ではベビーシッター、家政婦として
扱われてたとか…
そして挙句の果てに
子供のいない家庭に
奉公として売られてました。
子供の売買!!?
今では考えられないですよね…
まだまだ子供なのに
慣れない家で家政婦として働くなんて😥
そして間もなく
子供が出来なかった奉公先で
続けて子供が2人生まれて
親の愛はもちろんそっちに向く…
書いてるだけで鬱になりそう
親になった今だからわかる、
あの頃の祖母の気持ち…
もう少し続きます💦
今日のページの絵文字 青いな!
その後 祖父と出会うが
祖父には3人の連れ子が…
結局 祖母は
子宮か卵巣を摘出して
子供が出来ない身体に。
結婚してそこでも常に
疎外感でいっぱいな様でした。
長くなりましたが
これが祖母の壮絶な過去の一部で
そんな過去が
クレイジーな人格を
作り上げたんだと思います
家でも常に
「私はこの家の人間やない!!」
って大騒ぎ
誰もそんな風に
全く思ってないのに!!!
そんなクレイジーばあちゃん
私が生まれた瞬間から
私を独占!!!
母は授乳の時以外
私を触らせてもらえなかったと
言ってました。
直ぐに職場復帰させられて
おばあが子育ての主導権を握る!!
私はそんな
たっぷりのクレイジーな愛に
育ててもらいました
いつも
「誰が一番好きや?」
って聞かれて
「おばあちゃん」
って答えないと機嫌が悪くなる祖母
まぁ一番身近な存在で
私は一番祖母が大好きだったんですが
その質問を何度もされると
ウザイ (笑) !!
後、
「私はもうすぐ死ぬから大事にせなあかんで〜」
って
当時 子供の私はそれを真に受けて
「死んだらあかん〜!!」
って本気で心配して泣くし(笑)
それを見て安心してたのか知らぬが!
結局
「死ぬ」と言って20年以上生きてました
子供の頃って
家族しか知らないから
何の疑問もなかったけど
今振り返ると
私はクレイジーな愛情の中で
育ったんだな…と苦笑します。
親は妹ばかり可愛がると思ってたけど
この様な背景があったんですね。
そんな祖母に育ててもらった私。
実は嫌じゃなかったです
過保護に育てられ
幼少期は自信が全然なかったけど
生まれた価値はあると思えたから
自己肯定感はしっかり身についてました。
親の愛を感じず育った祖母は
どこに行っても
誰のナンバーワンにもなれなかった…
だけど、
私が生まれて
やっと祖母はナンバーワンになれた
ずっと孤独だった祖母を
幸せにする事も出来て
私は生まれてきて良かったと
心から思います
包丁とかたまに出てきて
クレイジーだったけど
祖母に出会えて
育ててもらって幸せです
最期 痴呆が悪化して
色んなものを忘れた時でも
年に1度しか日本に帰れない
私の事だけは
忘れずにずっと覚えてくれてました。
「ニューヨークからわざわざ
会いに来てくれてありがとう」
って(笑)
ケアンズなんですけど
そしたら
あ、パリか
って
国は忘れても 私の事は
ずーっと一番に思ってくれてました
クレイジーばあちゃん
出会えて良かった
ありがとう