人にあれこれ言われるのって、やっぱり苦しい。


特に、人間関係の中ではなおさらだ。

 

「それは違うんじゃない?」
「普通はこうするよね」
「あなたのためを思って言ってるんだよ」

 

そう言われるたびに、
私たちは少しずつ、自分の感覚を引っ込めていく。


波風を立てないように、嫌われないように、
“正しい側”に身を置こうとする。

 

気づけば、会話の中で選ぶ言葉は慎重になり、
本音は胸の奥にしまわれたまま。


その場は穏やかに過ぎていくのに、
なぜか心の中だけが、重く、疲れていく。

 

人間関係で求められる「正しさ」は、
たいていの場合、その人の価値観だ。


育ってきた背景、経験してきた痛み、
大切にしてきた信念──
それらが混ざり合って「こうあるべき」がつくられる。

 

だから当然、
同じ状況でも、正しさは人によって食い違う。


それなのに、私たちは無意識に、
声の大きい正しさ、
空気を支配している正しさに合わせてしまう。

 

「合わせられない自分が未熟なのかもしれない」
「私が我慢すれば丸く収まる」


そんなふうに考え始めたとき、
人間関係は静かに歪み始める。

 

本当は、
人と人がわかり合うというのは、
正しさをすり合わせることではない。


違いがあることを、
“なかったことにしない”という選択だ。

 

自分の感じている違和感を、
すぐに正誤で裁かないこと。


「私はこう感じた」と、
内側の事実として認めること。


それだけで、人との距離は変わっていく。

 

誰かに理解されなくてもいい。
同意されなくてもいい。


ただ、自分を否定しないこと。

 

正しくあろうとするより、
誠実であろうとするほうが、
人間関係はずっと健やかだ。

 

息苦しさを感じたとき、
それは「間違っているサイン」ではなく、
自分の感覚を置き去りにしているサインなのかもしれない。

 

その感覚に、そっと戻ってきていい。


そこから始まる関係のほうが、
きっと長く、静かに続いていく。