先週は最も寒い広島に帰っていました❄️
モノを無くす、人を失くす(亡くす)
今まで当たり前にあったモノ、そして人を些細なことで失くしたり、力及ばず亡くしたりする。
モノを無くした時におまじないとして、
「聖アントニオ様🙏🏻~、聖アントニオ様🙏🏻~」
と、唱えながら探すとモノが見つかるという。
これは、新しく入って来た修道士が、聖アントニオの「詩編」を断り無しに持ち出すと恐ろしい幻覚をみたということから、無くし物をした人を守護してくれると言われているらしい。
どんなに小さい、それほど物質的に価値がなくても、いざ無くすと困ってしまう。
いつも何気なく周りにいた家族や友と行き違いがあると、呆気なくそれっきりになってしまうこともある。
モノも無くし人も失くしてみて、初めてその有難さや大事さに気付かされる。
でも、どこを探しても無(失)くしてしまったものは、自分には相応しくないモノだから、とか、価値観の相違だから、心機一転しいつかは見つかる、いつか分かりあえるからしばらくそっとして待つことも学べる。
人だって、逝ってしまったことが寂しくて悲しくて、これからどうしよう…と、不安にかられたり、後悔をすることもあるけど、遺された家族が、友が側にいて、逝った人がきっと遺してくれたのだと思うと、頑張れるような気にさせてくれる。
たとえ側にいなくてもひとりじゃないよって…。
そう、広島に帰ったのは、私が産まれた時から側にいてくれた叔母が94歳で亡くなったからだ。
フルートと89歳の叔父を連れて新幹線に乗り、葬儀ミサで献奏させてもらった。
プロの演奏家として、これまでの感謝を演奏で見送りたかったから。
巨匠、オーレル・ニコレ先生が亡くなられた…。
R.I.P
昨日の夕方からから、FaureとDurfleのRequiemが聴きたくなって、日がな一日ずっと流している。
何かの偶然、暗示か…?
悲しいけど、世界中にその優れたお弟子さんやニコレ先生の演奏を聴いて勉強したフルーティストがたくさん育っている。
巨匠を失っても巨匠が築いた上に、優秀なフルーティストがたくさん遺され、ちゃんと引き継がれている。
長くなっちゃいました。
最後にちょっとだけ…。
聖アントニオ様は同時にこうも言い遺されていらっしゃる。
「毎日が、あたかも最初の日であるかのように思って行動しなさい。
そして、あなたが始めた最初の日と同じ熱意をもって、常に行動しなさい」
