LGBTQの集まりに行ったりカウンセリングを受けつつ並行していたのがメンタルコーチングの学びでした。
自分の中に答えがあるというコーチング的考え方のもとで、クライアントさんを対話によってサポートしていく、そんな働きです。
視覚障害があっても、障害を意識することなく、自分の持っている耳と口、聴く力、聞く力を使ってクライアントさんに関わっていく役割。
その活動にとても惹かれました。

自分の正しさで動いていた私。
感情・感覚をつかさどる右脳をうまくコーチングの中で使うことができなかった私。
そんな私はコーチングの学びではとても苦戦した時期もありましたが、その学びの中で私が尊敬した一人のコーチの方がいらっしゃいました。
その方は私の右脳の力、つまり、感じる力、感覚を遊ぶ力、感情をしっかり感じる力を引き出してくださいました。
途中で知ったのはそのコーチさんがクリスチャンの方であったということです。
特定の宗教に偏らないコーチングを私は学んでいましたので、そのコーチさんもキリスト教を押し出さず私のコーチをしてくださったり、学びのサポートをしてくださいました。

3度目にチャレンジしたメンタルコーチの認定試験の日。
私は試験を受ける前になぜか神様を賛美したくなりました。
自分の力ではなく神様の導きでコーチングできますように、と祈りが湧いてきました。
4年ぶりくらいに神様に祈ったでしょうか。
「受かりますように」という祈りではなく「自分の力をゼロにして神様に委ねます」という祈りでした。

それまでの私は試験であってもコーチングの練習であっても、先輩が見ているところでコーチングセッション(コーチングの対話)をクライアントさんとするのはとにかく緊張でした。
おかしなことをしないようにしなきゃという思いでいっぱいでした。
そして多くの場合セッションがおかしくなってしまうのでした。

でも、このときは不思議でした。
セッションをしていて、クライアントさんの存在の大きさに心動かされて涙が出そうになりました。
ここまで生きてこられたクライアントさんの人生の厚みを感じました。
私自身の存在ももうぼろぞうきんでも公衆トイレでもありませんでした。
人生の厚みを持った私として感じていました。
試験ということを忘れてしまうくらい、何かわからない感動に包まれていました。

試験が終わった夜一晩中ほとんど寝られませんでした。

次の朝、クリスチャンのコーチさんとセッションをしたとき、私はなぜか泣いていました。
なぜなのかわかりません。
自分の何かがポロッと落ちたような感じになりました。
神様にすごく守られて、認定試験を終えられたその感謝しかありませんでした。

そのとき、私は
「神様無くしてのコーチングはありえない」
という確信を持ちました。

コーチングでは「自分」というものを大切にします。
でも、私の中の解釈では、「自分を超えた存在」をコーチングの中で「自己の基盤」と感じられるほど幸せなことはないのではないかと実感しました。

自分を超えた存在、つまり肉体を超えた存在。
一般のコーチングの中ではそれを「神」と限定した言葉で表すことはできないけれど、「肉体の表面的思いの奥にある大きな存在」を意識したコーチングのすばらしさを伝えたくて、その後コーチ養成クラスリーダーになるためのトレーニングを受け、2018年4月からクラスリーダーの一人としてコーチングに打ち込む日々となりました。

神様に祈りつつ終えた認定試験の後、私はなぜかです、完全に所属教会と離れました。
そして教会の礼拝のある日曜日にはいろいろな団体のコーチングの学び会に参加するようになりました。
神様を意識しつつ、「なんとしてもより良いコーチングができるようになりたい」というところに心が支配され、結局神様よりコーチングを選んだのでした。
上手なコーチングをして、コーチとしてもクラスリーダーとしても認められたかったからです。