小学生の時に仲良くしていた友人がいました。

 

彼女には二人の兄がいて

彼女は長女であり、末っ子でもありました。

 

お兄さん二人中学から私立の男子校へ行っていて

彼女も私立中学を目指すべく小学校3年生から

進学塾へ行っていました。

 

彼女と仲が良かったので

影響されて私も塾へ通い

私立中学を目指すようになりました。

 

中学から私立を目指すというのは

子どもの意思というよりは

どちらかというと

親の意向が強いものです。

そして

親のパワーがないと続かないものです。

 

その友人のお母さんは

教育ママという感じではなかったのですが

子ども三人を私立中学にいれることに

情熱を燃やしていました。

 

昭和50年代の東京は

ゆったり時間が流れていたし

それほど治安も悪くなかったので

塾の送り迎えもなく

夜の8時頃でも

子どもたちだけで塾から帰ってくるっていうのが

割と当たり前だった時代でした。

 

とはいえ

親の協力がなければ

上手くいかないものでした。

 

友人のお母さんは

とてもパワフルで

家に遊びに行っても

明るく迎えてくれたし

本当にお世話になりました。

 

私たちが無事に私立中学に合格して

数年が立った頃。

 

友人のお母さんは

人が変わったかのように

パワフルさがなくなってしまいました。

 

今思えば

もしかしたら更年期もあったのかもしれません。

 

ただ

今まで子どもにかけていたエネルギーを

どこに向ければいいのか?

ぽっかり穴があいた感じを受けました。

 

子どもにエネルギーを注ぐことは

多かれ少なかれ

どんな親でもやっていることです。

 

でも

それは子どもの人生のサポートをしているのであって

自分の人生ではない。

 

子どもの人生=自分の人生

 

そうなってしまうと

子どもが巣立ってしまったら

自分の人生もどこかへ飛んでいってしまう。

 

本当は飛んでいくわけじゃないけれど。

 

母という役割は

いつかは終わるんですよね。

 

まぁ

ずっと母だから

子どもと向き合うことはずっと続くけれど

子育てが終わったら

今度は母というより

同じ大人として向き合うことの方が多くなると思います。

 

そんな時に

いつまでも子どもを生き甲斐にしていないで

自分の生き甲斐を見つけて

子どもに負けないように

いきいきと輝いていたい。

 

年齢を重ねるって

とっても楽しいよねって

子どもたちに言える大人でいたい。

 

ミッドライフクライシス。

 

次のステージに行くために

与えられた時間だと思えば

悪くはないかもしれませんね。

 

週末の早朝は

自分を甘やかす時間。

 

甘いものを食べながら

次の週のスケジュールを立てると

家でするよりも

いろんなアイディアが浮かんできて

より行動しやすくなります。

 

楽しいことは

楽しい波動でしか思いつかないのかもしれませんね。