私たち世代の母と娘の関係って

どんな時でも良好ってことは難しいんじゃないかなと

思う時があります。

 

親子とはいえ

それぞれ性格も違うし

持っている価値観も違うから

全てにおいて共感ができるというわけではなく。

 

相手の意見を尊重することはできるけれど

自分の価値観を相手に求めることは難しい。

 

コーチングを学んで

陰陽五行を学んで

究極私は何をしたかったのかなと考えたら

多分自分に自信をつけたかったのかもしれません。

 

母と違う意見を持っていい。

 

自分の考えや自分の生き方

自分の目指している夢

自分が目指している家族という形

 

親に認めてもらいたい。

肯定してもらいたい。

 

多分

一度離婚という形で

人生の横道に逸れたと

自分で思っているから

余計に

横道にそれた自分でも

認めてもらいたい。

 

とはいいつつ

 

何かと親と衝突する度に

「どうして受け入れてもらえないのか」

 

そんな自分の気持ちを

落ち着かせるために

現実は変えられないけれど

自分の意識や

物の見方を変えてみようと

それで

何かが変わってくれたらいいと

そんな祈る気持ちがあったと

ようやくその正直な気持ちを

自分でも認められるようになりました。

 

私はとっても弱い。

 

確かに

どんな逆境でも

常に冷静に対処できる能力はあると思っています。

 

ただ

自分の感情を押し殺して

いつも思考だけで前に進むようにしていた。

 

自分の感情を出すことが怖かった。

一旦出してしまったら

また それを受け入れてもらいない。

これ以上悪く思われたくない。

 

そんなふうにしか

思えなかった私は

本当にとても弱かったんです。

 

きっとそれは

親がそう思っているのではなくて

自分自身が受け入れていなかった。

 

自分のことが好きではないから

それが親という存在を通して

「受け入れてもらえない」

と感じていた。

 

全ては自分の心が周りの景色を作っている。

 

母とは今でも

分かり合えることもあれば

分かり合えないこともある。

 

それは

お互いに育った環境も違うし

考え方も違うし

当然性格も違う。

 

私は母のことを理解しようとするけれど

母が私のことを理解できなくても仕方がないと

最近思えるようになってきた。

 

理解してもらいたいというのは

私のエゴだと。

 

受け入れられなくてもいいとも

思っている。

 

母には母の正義がある。

 

私には私の正義がある。

 

母は母の役割があり

私は私の役割がある。

 

私はとっても弱い。

でも

弱くてもいい。

弱い自分だっていい。

感情にぐちゃぐちゃになったらなったでいい。

かっこ悪くてもいい。

 

どんな自分でも

私は私を愛しているし

命を授かってこの時代を生きているということは

祝福されてこの世に生まれたんだと感じる。

 

そのことに気づくために

私は両親の元に生まれたんだな。

 

ちなみに

娘は私に対して

どんな感情を抱いているんだろう。

 

聞いてみたいけど

それはもう少し後でもいいかな・・。

(だってさぁ めっちゃ辛辣な意見だったらどうしよって思うよねぇ 笑)

 

夕焼けを見てると気持ちが優しくなるなぁ。

実はアレッタと会話ができる私。

お互いに気持ちがわかるんだよね。

わんこと気持ちが通じ合うって

そういう人は多いんじゃないかな。