先日夫との会話で

北海道での暮らしも30年近くになり

東京での暮らしより長くなったことに

びっくりしました。

 

 

30年近く暮らしても

まだまだ道産子になりきれてない部分もあり

でも

北海道愛は着実に増えていったり。

 

 

北海道にいると

人も自然の一部だと実感します。

札幌にいる時はそれほど感じませんが

大好きな道東に行くたびに

人も動物も自然の一部。

日本の自然には四季があり

その四季は地球の動きに合わせておきるものであり

地球は宇宙の一部。

 

 

北海道の大自然にポツンと身をおくと

私なんてとってもちっぽけで

宇宙からの視点でみたら

私も足元の小さなアリも

何にも変わりがなくて。

 

 

アリは自然の流れに逆らうことなく生きているのに

さて

私はどうだろう?と。

私はというか

人はどうだろう?と。

 

 

人も自然の一部なのであれば

その流れに逆らわず

その流れの中で自分の生き方を選択していけたら

とても良い生き方なのではないか?

 

 

そう考えるようになりました。

 

 

自然の流れというか自然の法則のようなものが

北海道に住んだことで

心の中にすっと入ってきました。

だいたい

東京にいた頃の私は

都会大好きネオン大好きな人間で

「自然なんて必要な〜い!」

と言い切っていました(笑)

 

 

子育て中も

札幌に住んではいても

自然に興味を持つわけでもなく

目の前の景色に何かを感じることのなく

20年以上過ごしてきたわけです。

 

 

「人も自然の一部」と思えるようになったのは

ここ2年くらい。

思考がそこに行くと

今までと違った視点から物事を見るようになりました。

 

 

自然の営みや宇宙の法則は

人にも影響していると

そう思えるようになりました。

 

 

人だけが特別な生き物ではない。

 

 

植物や動物と変わらず

自然の一部でしかないと。

 

 

北海道にはヒグマがいます。

ヒグマはもちろん人より強い。

人は素手では太刀打ちできません。

それ以外の野生動物たちも

過酷な自然の中で懸命に生きている。

人は丸裸になったら

もしかしたら動物たちよりも弱い存在なのかもしれませんね。

その弱さを知恵や道具や言葉でカバーしているのかもしれません。

 

 

北海道は私にそんなことを教えてくれました。

 

 

これは私にとってとても大きな収穫でした。

形あるものにしか興味がなくて

効率とか優先順位とか左脳バリバリな私が

ニュートラルになれたのですから。

 

 

そう

私がたびたび道東を訪れるのは

その場所が好きという以上に

自分がニュートラルになれる場所だから。

 

 

この

ニュートラルの感覚がないと

人の話を聴くということができません。

どうしても

自分の色が相手に反映してしまいます。

 

 

誰かの話を聴くという仕事は

私という色だったり

私というフィルターがかかってしまうと

相手の本当の声を聴くことができないから。

 

 

「人は自然の一部」

 

 

それは私に新しい学びの道を

開いてくれました。

 

 

その続きは

いずれまた・・・。

 

ちょっと遠い近所感覚で

札幌からオホーツクまで通ってます(笑)

今年の夏は毎週のようにオホーツクの海で朝散歩してました。

ちなみに片道300キロくらいあるかなぁ・・。