ジャッジされることが嫌いな人は

自分も誰かに対してジャッジしている可能性が高いです。

 

 

実は以前の私がそうでした。

 

 

もしかしたら

自分をジャッジされるのが嫌なので

される前に

ジャッジしてしまう。

 

 

ジャッジしてしまえば

「あの人はああいう人だから」とか

「あの件はこういうことだったから」とか

自分の都合のいいように解釈するために

まずは相手を自分の尺度でジャッジする。

 

 

ジャッジという線引きをすることで

自分の内面を守るというか

自分を常に安心というカゴの中に入れておくというか

とにかく

自分を守るということを無意識にしていたような気がします。

 

 

とっても臆病なのに

ジャッジすることで

強く見せようとしている。

 

 

その昔

強いイメージを持たれていたのは

そういう自分だったからなのかもしれません。

 

 

そして

自分がどう思われているかってことを気にして

「みんなそれぞれ違うよね」

と口では言っていたし

そう思えていたと自分では思っていたけれど

無意識では違っていた気がします。

 

 

というのも

その時の私の周りには

ジャッジしたがる人が多かったんですよね。

 

 

私がジャッジをしていたから

周りもそういう人が集まっていたわけです。

 

 

さて

コーチングと出会って

意識を変えて行動するということを知り

それだけではなくて

内面を向き合った先に

人間も自然や生物と同じように

宇宙の法則で動いているということを知ると

何が良くて何が悪いかなんてことに

こだわらなくなって

それこそ

何かをジャッジするとか

誰かをジャッジする必要性も感じなくなると

自分の周りにもそういう人が少なくなってくるという

面白い現象が起きてきました。

 

 

とはいえ

完全にいなくなったわけではないようですが。

 

 

でも

それはそういう人の問題ではなくて

私自身がまだそういう部分を持っているから。

 

 

誰かをジャッジしないというのは

案外簡単に手放せることなんですよ。

最後の最後まで残っているのは

自分自身をジャッジするということ。

 

 

これは本当に心の奥底で起こっていることなので

最後の最後まで手放せないんですよね。

 

 

ここに気づいて

手放すというのは一人では難しい。

 

 

まず

気づくことが難しいんですよ。

誰かに引き出してもらわないと

気づかないもの。

 

 

無意識ですからね。

自分の意識レベルではなかなか引っ張り出せない。

 

 

手強いやつです(笑)

 

 

とはいえ

ジャッジしたいのであれば

ジャッジしてもいい。

 

 

でも

ジャッジしているうちは

ジャッジする世界にしか住めないもので

そうすると

なんだかいつまでたっても

窮屈な想いをするわけです。

 

 

どちらの世界に住みたいかは

人それぞれですが・・・。

 

 

 

さて

あなたはどちらの世界に住みたいですか?