基本ええかっこしいなので

自分の負と思われる部分は人にはあまり言わないタイプです。

ネガティブな部分とか

腹黒い部分とか。

 

 

とまあ

言わないタイプでしたが

最近はなっさけない部分も話せるようになりました。

50前にしてようやくそれが出来るようになりました。

 

 

自分を取り繕うと思えば思うほど

相手の期待している自分を演じるわけですが

じゃあ 相手がそれを期待しているのかといえば

実はそうではなくて

素の自分を出せないということは

ある意味 相手を信用していないということにもつながるんだなぁと。

相手の度量を試しているって感じでしょうか。

 

 

自分のなっさけない部分を話した時に

つくづく思ったのは

「聴き方って大事だわ」

という 普段皆さんにお伝えしていること。

 

 

同じ内容を

同じ調子で

2人に話したら

相手の聴き方によって

自分の感情がすっきりもすれば

がっくりすることもあるということ。

がっくりどころか カチンときたりして。

 

 

がっくりしたときに思ったのは

「あぁ この人には言わなきゃよかったのかも」

一瞬そう思いました。

 

 

相手に寄り添って聴くということは

同調することではなくて

ただ 笑って「うん うん」と余計な言葉を挟まずに聴くことなんだと。

 

 

なっさけない話をした上に

大切な気づきまであって

いつもは「聴く」立場が多いんだけど

ちゃんと話して

ちゃんと聴いてもらえるというのは

とてもいいものだと改めて思いましたよ。

はい。

 

 

話すことによって

解決するわけではないのだけれど

心が浄化されていくということもあるわけです。

 

 

誰かとコミュニケーションを取る前と取った後では

何か良い気持ちを残さないといけないんですね。

まぁ 時々失敗もしてますけども。

プライベートでね。

 

 

ナチュラルコーチはいるもので

本人は気が付いていないと思うけれど

その人と会話をすることによって

自然といろんな気づきをもらえます。

 

 

「あぁ この人はナチュラルコーチなんだわ」

 

 

そんな事に気付けたのも

なっさけない部分をさらけ出したおかげ。

 

 

ナチュラルコーチには

「話を聴いてもらいたい」って思ったし

そして「もっと話したい!」ってリクエストもしちゃったりして。

いや 実際リクエストした(笑)

 

 

コーチって

そういう存在であるべきだと。

 

 

コーチは何を教えるのでもなく

コーチから学ぶものなんかあるわけではなく

ただ

「聴いてもらえている」

ということだけで

人は前に進めるし

嬉しくなるし

自己肯定できるようになれる。

 

 

実感したので

今まで以上にそれを実践していきたいと

感じたわけです。

 

 

「聴く」ことはスキルではないなと。

 

 

その人の

心の大きさだったり

経験だったり

受け止め方だったりするんです。

 

 

そういう人が自然とやっていることが

スキルとして紹介されているだけであって

スキルをどんなにお金をかけて学んだとしても

心がそうでなければ

何も実践できていないし

役に立たないんだと。

これは頭でわかる部分ではない。

 

 

なっさけない部分をさらけ出して

自分にマイナスになることなんかなくて

むしろプラスになっているってことにも

気が付いてよかったな。

 

 

ええかっこしいをやめたら

ラクになったし

得るものがたくさんありました。

 

 

ということで

今日はこの辺で。