「どうすれば上手く行くか」を

親は教えることは出来るけど

「どうやっても上手く行かないことがある」ということは

親だけでは教えられない。

自分が頑張ったって報われないものがあるのは事実だし

正しいと思ったことをやったって

それが評価されるとは限らないし。

 

 

 

「あぁ 全てが徒労に終わった・・・」なんてことは誰にでも経験があること。

 

 

 

そんな時に雨が降ってたり

春なのに寒かったり

一人で心細かったりしたら

そりゃあ 心がポキっと折れることもあるよね。

 

 

 

ポキっと折れるってことは

常に心が緊張してたってことで

初めての場所や環境に身を置けば

誰だってそういう気持ちになるわけで。

 

 

 

自覚が無くても

いつの間にか心が硬くなったりしてるんだよね。

いいの いいの それが普通。

どこに居たって誰と居たって そんなことは一切ないっていう人は

それはその人が強いわけじゃなくて

ただ単にそういうことがちょっと人より「得意」なだけ。

そう 走るのが早いっていうのとおんなじ

ただ「得意」っていうだけ。

もしかしたら折れたことに気付かない「鈍感」なのかもしれないし。

 

 

 

だから

とっても寒くて雨の降ってる日に

頑張ったけど思ってた通りの結果にならなくて心が折れたからって

「弱い」わけじゃない。

だからそのことで「自分は弱い人間だ」なんて思わなくていい。

いいじゃない 人間らしくて。

強い心はとてもいいことだけど

そういう人は弱い心の人を思いやることは難しいから。

強いってことはいいことばかりじゃないの。

 

 

 

いっぱい心が折れる経験をして

心が柔らかくてしなやかでいれば折れにくいっていうことがわかるし

同じ場面になったときには心折れなくても済むようになる。

そのつぎはぎの心は勲章になる。

 

 

 

 

なんてちょっと偉そうに言ってみたりして(笑)

(アラフィフオバサンのタワゴトだからユルシテチョ)

 

 

 

嫌なことがあるから

良いことがあったらとても嬉しい。

ちっちゃなことでも嬉しくなれる気持ちが生まれる。

 

 

 

大学生の頃 明るいうちからビール飲んでいても「幸せだ~」なんて思わなかったけど

社会人になったらその一杯がとっても「幸せだ~」って思えるようになったし

子どもが出来る前はお風呂にゆっくり入るなんて当たり前だったけど

子どもが産まれたら一人でゆっくりお風呂に入れるだけで「幸せだ~」って思える。

 

 

 

 

心が折れたり

嫌なことのおかげで

気が付く幸せもあるんだよね。

 

 

 

さぁ 明日も頑張ろう。

 

 

 

今日も最後までお付き合いありがとうございました。

自炊を始めた娘にLINEで料理の手順を教えています。

家にいる時には料理に興味を示さなかったけれど

やるときはやるんだなぁ(笑)

LINEで教えるから短文を数回送るだけでレシピを伝えるって

結構頭を使います。

100文字どころじゃない短さ。

でも 私自身の頭の体操になって面白いですね。

錆びた脳を磨くいい機会になってます。

出来上がりはLINEで写真が送られてくる。

便利な世の中ですねぇ。

 

 

 

では

また 明日。