いじめによる自殺
痛ましい事件が 絶えることのない時代

自分の中学生時代
「いじめ」ということがなかったわけではないけれど
今の時代とは違う気がする

今の子どもの心が弱くなったのか?
打たれ弱くなったのか?
原因を 命を絶った子どもの方にフォーカスされる時
私は 何か違和感を感じる

何故 人の人格を否定する言葉を言った子どもにフォーカスをあてないのか
何故 その子どもは平気でそういう言葉を言うようになったのか
そして その子どもが どうすれば言葉の力に想いを巡らせるようになれるのか
人を追いこんでしまう子どもを取り巻く生活環境はどういったものなのか

「子どものやったことだから」
「子どもは まだ未熟だから」
確かにそうかもしれないけれど
いや そうだからこそ
大人が「言葉の力」をあえて教えなければいけない

言葉に敏感ということは
自分が何か言葉を発する時に 相手の心情を思いやれる心を持っているということ
文字にしてみれば
当然 いいことだと誰もが納得する
でも 実際に敏感に反応する子がいると
「こんなことくらいで・・・」
「自分も散々言われたけれど 大丈夫だった」
・・・・やはり 基準は自分の枠だけで 思いを巡らそうとはしなくなる
何故だろう

敏感で 心が繊細な子どもが
淘汰されていって
否定的な言葉に動じない
そればかりか その言葉を平気で使っている子どもたちが
普通とされ 大人になっていく社会

周囲も
「そんなこと 言われたくらいで・・・」
という受け止め方をしている社会

人はそれぞれ感じ方が違う
たかが言葉だけれど その一言がその人にどういう影響を及ぼしているのか
言葉の先を想像することが出来なければ
いくら 大人になって「コミュニケーションを大切に」といっても
コミュニケーションセミナーを受けても
それは 形だけのものになってしまう

人の命を絶つのに
刃物はいらない
言葉一つがそれ以上のものになる
だから 自分が発する言葉に敏感になれ

それは私が子どもに伝えるべき事の一つだと思う