昔から 大好きな二人の対談



その中で 阿川さん曰く 
『正しい日本語を使いこなすことは 人との距離感を測ること』

例えば、自分の一人称ですら日本語は変わる
相手が上司なら「わたくしは」
奥さんだったら「俺は」
息子に対しては「おとうさんは」
よその子どもに言うのなら「おじさんは」
と・・・。

この距離感がうまく測れないと
尊敬語、丁寧語、謙譲語がうまく使いこなせない。

檀さん曰く
『この違いを上手く使っている人は 脳が活性化しているような気がする』

敬語を勉強として学校で習ったのは いつだったか?
中学生?小学生?
家で敬語というものに触れなければ
敬語は国語の知識の一部として登場するはずで。
まぁ 10人中8人は(勝手に想像)苦手のレッテルを貼ってしまう。

阿川×檀 お二人の対談を読んでいると
流石、お互いに作家の父親を持っているからか
それとも年代か(どちらかと言えば 二人と同じような感想を持っているので年代なのかも)
敬語というものが 生活に密着して
当たり前に使っている言葉であるということがよくわかる。

本来 敬語というのは学問ではなくて
相手を敬う・思いやる心を形にした言葉であるはず。
であるならば、知識のためではなく
相手の為にも そして自分自身の為にも
美しい日本語である敬語を身につけるのは
大切なこと。

子どもたちが 知識として敬語に触れる前に
親である私たちが
美しい日本語を使えるようにしていたい。

そりゃ 親だって現代に生きているから
「まじ!!」とか「やばい」とか 口走ってしまうこともあるかもしれないが
そこはご愛敬ということで。

子ども達影響を 多少は受けつつも
日本語のマナーは忘れたくないですね。