気持ちを綴りたくて。
実は昨日黒猫のスーキーを獣医に連れて行ったら安楽死の選択しかなくて、そのまま眠らせてきました。
家を出た時はこれで少しは良くなるかなって回復の事ばかり考えてたから呆然としてしまった。
様子がおかしいなと思ったのが9月に入ってから。
お腹が出っ張ってるしなんだこれ腹水ってやつ?と旦那と話したけど、獣医に連れて行かないとって言うだけで結局連れて行かず。
新学期も始まったし色々忙しくてね。。。
ご飯は食べてるしおやつをせがりに近寄って来て鳴くのが続いてたけど、気づいたら今週はさらに元気がなくなって来てないかと。
もともと隠れるタイプだったから姿を見せないのはいつもの事で、いないから何かおかしいって思うタイプじゃなかったのがダメだった。
痩せ細ってもう元気がなくて見てられない姿になってた。
昨日も部屋の隅の床にいて、頭を撫でたらゴロゴロいってたけどなんかもう数日前と全く違う様子でびっくりしてしまった。
今から見てくれる獣医はいなかと何件かかけたけどどこも空いてないって言われてさ。
でも一軒これからすぐ来れるなら診てあげれるって言われて急いで獣医に行ったんだけど、、
今思えば行かなきゃよかったなーって。
そういう後悔が大きくて涙が止まらない。
車に乗せてニャーニャー鳴いてて、
大丈夫だよーー
先生に診てもらったら良くなるからね!
って励ましてたの。
急いで病院に行ったけど、そこから1時間もしないで安楽死させるとは思わなかった。
病院に着いたまでは大丈夫だったし、
診察中も逃げようとしてたの。
でも獣医の先生が触診でお腹をチェックしてギュッと触ったんだけど、その後からもう目も当てられないくらい突然様子が変わってしまった。
先生は腎不全で腹水が溜まってるのかもしれないけどもうどうにもできないって言われて、
もし様子が変わらなかったらそのまま家で看取りたいからって帰宅したかもしれないけど、あっという間に苦しそうな呼吸になって、目も虚というかもうどこか遠くを見てる感じ。
いや、さっきまで、っていうか電話するまでこここまで悪くなかったし、ゴロゴロ鳴いてたくらいなのになんでなんでって。
でも内診でお腹を押されて多分限界を迎えてた臓器がその時にダメになったんだろう。
だからここで帰宅なんて無理って自分でも分かったし、早く楽にしたいって思った。
痙攣のような感じでビクッと定期的にするスーキー、でももう頭を持ち上げる事も出来なくただ横になってもう死を待つ状態。
触診前まではまだ動いて歩く余裕があったのにだよ。
だからもう連れてきたほうの後悔が大きいので。
もしかしたら家で眠るように最期を迎えれたかもしれないのに、嫌いな車に乗って嫌いな獣医に来てこんな目にあって、もうごめんごめんって後悔しかない。
たらればの話だっていうのは分かってるけど、自分がこうしたっていう罪悪感がすごくてしょうがない。
病院に着いたのが1:20pm。
もう連れて帰れそうもないくらい容態が変わり、先生にお願いして安楽死をしたのが1:45pm。
もう注射を打つ前に血圧もだいぶ下がって呼吸も浅く、もうお空に行くんだなって状態でした。
私は必死に頭を撫でて心の中でごめんねごめんねっていうことしかできなかった。。
目から光が消えるってまさにこの事なのね。先生が聴診器を当てる前にもうスーキーはお空に行ったのがわかった。
獣医に電話をしたのが1時前。
あの時に戻ってただスーキーの横で一緒に寝転んで頭を撫でてリラックスさせてたらよかった。そしたら自分のペースで沢山のストレスを感じずいけたよね。
獣医に行ったからこの結果になったという考えから抜け出せない。
でもあの時の自分はまだ救えると思ってんだよ。
獣医に行ったら何とかなると思ってたんだよ。
あーもう本当に自分の行動にイライラしてしょうがない。
看取った時の映像がまだ鮮明に頭に残ってるから思い出すたび涙が溢れてしまう。
今日はアメブロに来てスーキーを引き取った記事を読みに来た。
あの当時のワクワクとか喜びが書いてあって余計辛くなってしまったけど、こうやって振り返ってその時の感情とか思い出すのって重要だなって思った。
だからあの子猫だったスーキーが昨日人生を終えた事をここに記録。
スーキーありがとね〜
お空でたくさん食べてたくさんお昼寝するんだよ〜
虹の橋で会おうね〜