政治と野球と哲学と | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

運をつかめる人とつかみそこなう人の違いがどこにあるのか、はっきりとはわからないのだが、ひとつだけ言えるのは、こういうことだ。

「運を味方にするためには、しっかりした準備が必要だ。」

私の言葉ではありません。
この本
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からの言葉です。

はい、阪神タイガースの遊撃手の鳥谷敬選手が書いた本からの言葉です。

自らの準備不足を

「運がない」

で片付けるのは凄く楽ですね。

野球に限らず、雨と傘の関係を考えてください。

突然の降雨を「ついてない」「アンラッキー」で怒りをぶつけるのは簡単です。
天気予報を調べる、折りたたみを携帯する、それが入るくらいカバンに余裕を作っておく。

などですね。
勿論、調べ疲れたり、準備疲れたり、明らかな好天なのに雨を怖れるなどは「警戒信号の鳴りっぱなし」でメンタルバランスが壊れた状態だと思います。

野球は確率のスポーツです。
つまり、より確かな方にどれだけ全力を注げるか?
なんですよね。

相手の得意と自分の得意。
相手の苦手と自分の苦手。

自分の苦手な所に相手の得意な球が来たらまず打てないでしょう。
しかし、「ここに来る」とわかっていたら、敢えて手を出さないことで、他の球を打てる確率がグッと上がります。
また、どんなに苦手な球も、もう一度同じコースに来たら確実に仕留めるのがプロです。

「相手が凄かった」で終わらさない為に出来ることはあると思います。

ホントにお手上げでバンザイするのは、完全に予測してない球を投げられるか、完全に予測通りの球を確実に捉えても飛ばなかったか、のどちらかですね。
極端に確率の低い所に労力を注がないのも重要でしょう。

鳥谷選手は滅多に感情を表に出しません。
試合中に
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こんな笑顔も見せることは殆どありません。
書籍の中に

「僕はガッツポーズはしません。
相手選手の為ってこともありますが、自分が打ってもまだ試合は続いてます。
逆転されない為の準備はもう始まってるからです。
だからサヨナラの場面で自分が打った時だけ、喜びの感情を出すと思います。」

と、言ってました。


余談ですが、オバマさんが広島を訪れることになりましたが、謝罪するしないより、マツダスタジアムで始球式した方が遥かに平和の祭典だと思う私です。