
「半分も入ってる」
「半分しか入っていない。」
どう思うかは人それぞれでしょう。
ギリシャの哲学者アリストテレスは
「人は一人分の真実しか持ち合わせていない。」
と言いました。
意見の異なる相手に対して
「まだ半分もあるだろう?お前が間違っている!」
「いやいや、お前こそどうかしている!もう半分しかないだろう?」
はい、まさに「水掛け論」です(笑)。
相手を屈服させる為に百万の言葉を擁する必要もありません。
国際法で規準を決める必要もありません。
で、私が主張するのは、この「コップ半分の水」に抱いた二人の考えが、「二人分の真実」なのです。
英語でトゥルーです。
そして事実は「水は半分入っていた。」です。
私はある探偵アニメの「真実は一つ」というキャッチコピーは、ある意味正しく、ある意味間違っていると思います。
解き明かされたトリックはあくまで事実の積み重ねであり、加害者と被害者の心情が吐露された時点で「真実」なのです。
インディ・ジョーンズの台詞で
「事実を知りたければ考古学を学べ。
真実を知りたければ哲学を学べ。」
とあります。
突き付けられた「現実」に動機や心情のメカニズムを定義して普遍性と客観性を持たせようとするのが一般的な哲学の原理です。
しかし、どんなに頑張っても、「相手側の頭の中」は自分にとって別世界で相手側の真実があるだけです。
裁判の証拠主義はあくまで事実の積み重ねであり、被害者、加害者のプライバシーを興味本意で暴くのが「真実の報道」とは思えません。
ただし、「結果」至上主義ではなく、プロセスや気高い「志」を蔑ろにしてはいけないから難しいのですが…。
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「今から3%の話をします。
我が校の生徒3人がコンビニの前で喫煙するだけで、それを見た人は『あの学校は!』と思います。
三人組の生徒を3回も目撃すれば『あの学校の生徒全員が』と思ってしまいます。
我が校1000人の全校生徒のうち、心ない述べ30人を見ただけで970人が迷惑するのです。仮に30人が固まって喫煙している光景を見たら異常事態の何物でもありません。
36人のクラスで誰か一人が何かすれば『あのクラスは』と思われるのです。
我が校の制服を着るとはそういうことです。」
かれこれ20年以上前にお世話になった先生の話でした