アメーバで三回目の…。 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

節約が無意味になる!絶対に買いだめしちゃいけないもの10個


1月17日を迎えることが出来ました。

私は今現在、生きています。

当たり前のことですが、大切なことは二回言います。

私は今現在、生きています。

あれから19年。

阪神淡路大震災と、震災から学んだことは絶対に忘れません。

当時私は17歳でした。

二年生だったからまだしも、三年生は受験シーズンでした。

各大学でも、時間や日程で特別措置が取られたそうです。
厳しいハンデをものともせず、普段以上の実力を発揮された先輩方は、一生尊敬しています。

明日からセンター試験ですね。
受験生の皆様方に加護がありますように。

今思えば特殊な状況を書き連ねます。
その経験があってこそ、現在の私を形成しています。

三学期の授業は全て午前中で終わりでした。

被災した隣の高校が、ウチの高校のグランドに仮設校舎を建てて授業を受けてました。

修学旅行を中止にして、積立金を見舞金として学校側が生徒側に返還しました。

電気や電話はすぐに復旧しましたが、ガスと水道はなかなか復旧しませんでした。
自衛隊の給水者がウチのマンションの前に停まってくれました。
バケツ一杯の水を、階段で五階まで運びました。

やっと蛇口をひねって水が出た時は凄く嬉しかったです。
思いっきり赤茶色の水が出ましたが、全然気になりませんでした。

でもお湯は出ませんでした。

水を沸かすことは出来ても、シャワーは水でした。

町では水の要らないシャンプーがめっちゃ売れました。

まだ水が出ない家の子は、日に日に髪が荒れくるのがわかってましたが、誰もが黙ってました。
それでもみんな学校に来ていました。

震災は人の心から夢やプライドも奪いました。

震災は神戸だけでなく、夢の居場所であり、関西のシンボル宝塚大劇場まで被害を受けました。
宝塚大劇場は、驚異的な復旧スピードで建て直し、再び人々に夢を与えてくれました。

そして甲子園球場内に仮設住宅を作るというアイデアもありましたが、「人間はプライドを捨てたらアカン!」と、地元の猛反発で却下されました。

食料や燃料の備蓄などはある程度必要かもしれませんが、「何が何でも震災前と同じライフスタイルを続けるんだ!」と言った感じの備えには懐疑的です。
3.11直後は懐中電灯と電池が市場から消え、店員として「蝋燭」を勧めると、「倒れるから危ない」と言う呆れた客も居た。終