オアシス論。バトルにおけるアンチバトル派 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
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昨日のアンパンマンからの流れです。

往々にしてバトルアニメ、漫画では「強さ」のみが求められます。
80年代後半から90代前半の少年ジャンプは顕著ですね。

北斗の拳、星矢、男塾、キン肉マン、ドラゴンボール。

「強さ」のみを求めるこれらの漫画は、「敵の強さのインフレ」を巻き起こし、過去に苦戦した相手が、次の敵に瞬殺されるという演出がよくなされました。

しかし、より強い敵ならまだしも、北斗の拳、星矢、男塾にはなかった事が、後の二つには追加されます。

「死者復活」です。

私は未だに「ドラゴンボールで生き返る」は止めてほしかったと思います。
別にそれで「命の大切さを」とか「だから漫画と現実の違いが」なんてことをモンスターペアレントの様には言いません(笑)。

ドラマ性に乏しいドラゴンボールの中での名セリフが「クリリンのことか!?」
ですから、ドラゴンボールで繰り返し生き返っても、作中で命や友情を伝えることに成功していたと思います。

ただキン肉マンの超人墓場といい、「何でもあり」感はありますね。
個人的には死んだ人間は生き返ってほしくないです。

もしかして強さのインフレと死者復活は、日本のバブル期と重なってたのかな?と邪推してしまいます。

少年期には、アンドロメダ瞬やライダーマンや、「弱い者」や「優しい者」ばかり好きでした。
北斗の拳の「トキ」も大好きでした。ブロ友さんからモチーフが「キリスト」と聞いて更に親しみが湧きました(笑)。
しかし、それでも当時は「強い」「弱い」で判断してましたね。

「勝っても死んだ仲間は生き返らない。仇討ちは抜本的解決ではない」

を7つのドラゴンボールを集めることでボヤかしてしまったのでは?と私は思います。

そんな強さ至上主義の少年達でも一度は心を奪われるのが
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ガンダムのマチルダさんです。

「私が補給部隊に所属しているのは、戦争という破壊行為の中で唯一、物を作る仕事だからよ」

確かこんなセリフがとても心に響いています。(響いたのに正確に記憶してない私)

トランスフォーマーのサイバトロン軍団の救護員ファーストエイド(救急車に変身)が戦争に嫌気が差し、一度軍を抜け、スクラップ星で機械を再生する仕事に就くってエピソードは今も記憶に残ってます。

登場人物の心の強さを理解するには幼いうちは難しいですね。