ヤスパースに学ぶ哲学の五条件 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
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ドイツの哲学者
カール・ヤスパース
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は哲学そのものをこのように述べてます。

1 思索しながら自分自身と交わる内的行為である。

2 包括者の広い世界に自分の心を開くことである。

3 人間と人間の交わりを真理と愛を通して敢行することである。

4 理性にめざめることである。

5 現実から逃避しないで集中することである。

これはかなり普段から哲学を認識しない方にも伝わったのではないかと思います。

注目すべきは二点。
まずは
ヤスパースは絶対者による永遠の真実よりも、人間と人間による関わりから生まれる
「相対的な有限の真理」
を重視しました。

その人との関係性にこそ、法則や縁があり、具現化された「神」を超えた者=「包括者」とヤスパースは捉えています。
これが二点目です。
遥か昔にスピノザが
「神=自然」
と主張したのとヤスパースが言う
「包括者」
はかなり似ているのです。
スピノザもヤスパースも
「大宇宙の永遠の運動」
に神を見いだしたのかもしれません。

人間と人間との関係性も、個人を超越した所に存在します。
それは出会いと別れをコントロール出来ないこと、他者の心の中に入れないことを考えると明白でしょう。

私が好きなのは、
「現実から逃避しないで集中すること」
です。
これは別に哲学のみに当てはまることではありません。

しかし、人は頼れるべき「信念」を持っていれば、現実から逃避せずに集中して人生を送れます。

自身を証明する「軸」があるかどうか?
そしてそれが揺らいでも、壊れゆくままにならず、軸を立て直すか、新しい軸を立てるかに「躊躇しない」ことだと思います。

戦後日本は神を否定し、宗教を否定し、国家を否定してきました。

拠り所は
「友人、家族」
をお題目に教育されてきました。

しかし私は言う。

「信仰心無き者同士の愛も友情も成立しない。」

と。

自らの能力を越えた所で世界は回っていると思えない限り、
「哲学は倫理と道徳の弔いをする為にのみ存在する」

になってしまわない世界を望みます。