幸福論と不幸論~キルケゴールは語る | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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キルケゴールは
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幸福について

「幸せの門は内開きでは無く、外開きになっている為、突撃して開くものではない。」

そう、幸せの扉は望めば開くものではないと言うことですね。

常に自分達は「選ばれる側」と言うことを認識しなければならないようです。

また、不幸については

「幸せな者は、地位と名誉と財産、そして健康さえも『足りている』などと認識してはいない。
不幸な者はこれらが『足りていない』と常に思っている者のことだ。」

と述べています。

そう、幸福な者は決して
「地位があって良かった。財産があって良かった。健康で良かった。」
など考えずに毎日を過ごしていると言うことです。
不幸な者は常に
「あれが足りない、これが足りない、ああだったら、こうだったらいいのに。」
と言い続けることが不幸なんですよね。
日本の茶道、華道に通じる「侘び」の神髄は、

「満たされていないことに満足する気持ち」

を説いています。

銀閣寺には銀箔が貼ってありません。
池には小石を敷き詰めた「枯山水」です。

金閣寺の様に豪奢で無い所に趣きを感じるのが醍醐味です。
正に、「満たされていないことに満足する気持ち」
です。

通信技術の発達により、自分の人生を他者と比較することが容易になり、不必要に自らが「満たされていない」と思い込める環境が出来上がってると思います。
しかしいつも私は思います。

「幸せの青い鳥は最初から自分の肩に止まっている。
但し、一度旅をした者でしか見ることは出来ない。」

これも大好きな言葉です。

今夜はこれくらいで。