思えばわたくしはこの記事を書きたいが為にアメーバに入会したのかもしれません。
私の伯父(父の異腹兄)は第二次世界大戦中の満州(現中国)に居ました。
戦争は米国が落とした不必要な二発の原爆で終わりを告げるはずでした。
しかし、日本の敗北が決定的になってからソビエト(現ロシア)は火事場泥棒の如く日本の領土に侵攻して来たのです!
戦う力の残ってない日本軍は北方領土を奪われましたが、北方警備兵の獅子奮迅の戦いぶりで北海道は死守しました。
ソビエトの脅威は満州にも来ました。
伯父は多くの日本の民間人と中国人、朝鮮人を守る為に従軍したかは定かではありませんが、「自分が生き延びる為に」従軍しました。
しかし、圧倒的な戦力の違いでした。
前線でソ連兵が機関銃を横殴りに乱射すれば、伯父の両隣の日本兵は即死しました。
弾丸が伯父の身体一人分だけ逸れたのです。
伯父は無駄な抵抗も、自害もせず捕まることを選択しました。
全ては「生き延びる為」です。
しかし、悲劇はここからです。そう、
「シベリア抑留」
の始まりです。
伯父を待っていたのは極寒の地での強制労働でした。
飢えと寒さで何人もが亡くなりました。
「飢え」には二重の苦しみがありました。量の問題に加え、出される物が「チーズ」や「バター」など当時の日本人が口にしたことの無いものばかりだったからです。
しかし、この食事は寒さをしのぐ為の脂肪を付ける為に食べないといけない食事でした。
伯父は食べました。
「こんなもん喰えるか!」
と言って食べなかった兵隊さんは翌朝、凍死していました。
最悪の環境で伯父に転機が訪れます。
ソビエトの上官が皆を集め、
「この中で馬に乗れる者はいるか?」
と尋ねたのです。
何を思ったのか、伯父は挙手しました。
馬になど乗ったことはありません。
しかし、伯父はチャンスと思ったのです。
それは伝令兵の募集だったのです。
過酷な労働からは解放され、ソビエトの上官に気に入られれば食べ物やその他で優遇されるからです。
全ては「生き延びる為」です。
伯父は乗れない馬に乗り続けました。
再び日本の土を踏むその日まで。
伯父の家には真剣の日本刀がありました。
幼少のころは刀は切為にあると思ってました。しかし、「そこにいる」=「さぶらう」=「サムライ」なのです。
自らの存在で切るのが武士道なのです。
去年、伯父は88で亡くなりました。
魂は引き継がれてます