「ここに悩める100人の男達が居るとする。
彼等の悩みを解決するには、
99人の女達と一人の神様が居れば解決する。」
と発表したのです。
この論文の意味は、
「若い男の悩みなんて、99%異性のことで、神様について悩んでる男は100人に一人くらいだ。」
ってことが主張したかったんだと思います。
しかし、これに対してデンマークの哲学者キルケゴール

の批判は桁が違います。
「この学者は、この論文を発表することで、自ら数学の能力が低いことを露呈してしまったようだ。
何故なら、『悩んで途中で死ぬ男の数が入っていない』からだ。」
と述べたのです!
著書「あれか、これか」
の前半に書かれていた話です。
私初めてでした。
哲学書を読んで大笑いしたのは。
もう、この話を読んで一年近くなります。
で、今現在の自分の新たな意見としては
「100人の男って、一くくりにすること自体を、へーゲル哲学の全体主義に対して批判してたんじゃないかな?」
です。
キルケゴールが生きた時代は、印刷技術の発達により、新聞が普及した時代でした。
大衆が同じ新聞を読み、同じ意見を持つことをキルケゴールは憂えていました。
彼は常々、
「集団の一人になるな」
と訴えていました。
19世紀前半に生まれたキルケゴールがこう主張してたのですから、テレビに携帯電話にインターネットの普及をどう考えるでしょうか?
「100人、1000人を比べようとも『私の恋愛』だけは特別で比べられない。」
実存主義の始まりはこの辺りにあるかもしれませんね。

貴方と私は世界にひとつの特別な存在。