ギリシャ人とキリスト教 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

最初からギリシャ人はキリスト教を受け入れた訳ではありません。

「死んだ人間は蘇ることはない」
と批判する人がいました。

一方で擁護する人には、

「理性には、非合理的に映るものにおいてこそ、信仰は成り立つ」
との見解を示す者もいました。

つまり、
「理屈に合わないからこそ、信じる価値がある」
ってことでしょうか?
理性を働かし、論理的に思考するほど、不都合な物は排除されるのが普通じゃない?
って思いました。

「あり得ないからこそ信じる価値がある」
う~ん理解に苦しみます。

しかし、これには当時、の世相もあります。

何故なら貧困層には「あり得ない災厄」がついて回るからです。
不都合に苦しめられる民衆は
「不都合で非合理な教義の信仰」をすることは自然かと思います。

但し、理性が発達し、民衆が科学的に思考するに連れて、教会の教義は矛盾だらけになります。

また信仰する対象が「超自然」のみを信じるとオカルトと一緒です。

人間がどんなに知恵を絞っても災厄そのものを防ぐことは出来ないのです。
これに対して信仰を求めるのは自然なことかと思います。

あなたは既に「信じない」と言う信仰をスタートさせている。救いを求めることに変わりないのだから。
by SPA-k
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認識してなくても愛を信仰している画像です。