「神は嘘をつかない。それは神の『本質』に反するからだ。」
私はこの「本質に反する」と言う表現に非常に興味を持ちました。
面白いのは「神」に対してそもそも「本質」を定義できるべくもないのです。
しかし、誰しも「嘘つきな神」が存在する等と思いません。
何故?
「それが神様だからだ」と言うしかありません。
私はここにソクラテスに限らず、古代ギリシャ人の知恵と合理性を感じました。
「神の御言葉」と言っても、神殿の巫女が、「どうとでも解釈出来る神託」を述べてるだけです。
しかし、この巫女の言葉そのものを疑えば、アテナイの政治も、市民生活も成り立たなくなるからです。
もう、お分かりですね?
ギリシャ哲学に於いて、神こそが後天的な被造物なのです。
是非では無く、絶対的な者を(物を)崇めた方が合理性があるからです。
それは

ぬいぐるみが愛してくれると仮定した方が都合が良いからです。
また、「愛されていない証明」も不可能だからです。
神の証明は「魚が水を知る」様なものだとは百も承知です。
でも語りたいのです。
答えを出したいのでは無く、語り合いたいのだけです。
「思われることによってのみ神は存在する」
とわたくしが信じたいからです。
読んで下さってありがとうございました。