偶像崇拝禁止と言う名の偶像 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

結局、この表題の通りの事に何千年も振り回されてるんじゃないかな?

確かに
「見たことも無い神様を描くのは良くない」
ってことは理解できるけど、
「書いても良い」を禁止する理由にはならないし、他者の偶像崇拝を禁止させる権利はない。

ソフィーの世界によれば、キリスト教の実質的な伝道師パウロは何と、ギリシャ哲学と多神教が隆盛のアテナで演説を行ったらしい!

パウロは
「あなたがたはとことん偶像崇拝に毒されている。」

「神は人の作った神殿に住んでいない」
「神は人の想念からつくられた金銀や石の像と考えるべきではありません。」

「神はそのような時代に目をつぶっておられましたが、すべての人間に悔い改めることを命じておられます。」

「神は決めおかれた人を裁きの日に死から目覚めさせ、すべての人に保証を与えるのです。」

とまあ、これがパウロの演説です。

わたくしの感想は何と、手前味噌な教義だ。
と考えました。

唯一神を唱えるなら、神の中にわたくし達が存在するなら、「そんなにご立派な神様が小さなわたくし達に意思を示すはずがない。」
「偶像崇拝を許す寛容さを、神様は持ち合わせていて当然だ。」
と言うのが私見です。

盲目的に偶像崇拝禁止を守ったとしても、真の神様の祝福あるならば、偶像崇拝した者にも救いはあるはず。

キリスト教は聖母マリア、イエス、天使、主を巧みに都合良く使いわけている。

宗教でも哲学でも、世の中の不文律を納得させられるのは「愛」だけだと言うのが私見です。
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この天使も結局人間が作り出したものです。
そして
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神様ってこんな姿でいいんじゃないの?って思える画像です。