少年哲学者の迷走~母の驚愕 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

その時はプリッツが食べたかったのです。
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だからお菓子屋さんで、棚の上段にあるプリッツを指差しました。
しかし、買い物に来てた母は間違えて隣のビスコ
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をレジで清算したのです。
私は何も言わず只、悔しさを噛みしめて帰路に着いたのです。
そして玄関で靴を脱ごうとしたとき、少年は感情が爆発し、ただただ泣き叫びました。
母にすれば理解不能ですよね。
欲しいお菓子を買ってもらった息子がお店でも帰り道でも何も言わず、玄関で突然号泣されたら(笑)
しかし、当時の私にはただ欲しいのが手に入らなくて泣いたのではありません。
問題は「ビスコと言う子供の絵がプリントされたパッケージのお菓子を与えられこと」
です。その時の心理状態は複雑ですが
「何たる醜態!私はまだプリッツが与えられるほどの大人では無いのだ。
母の目には私がビスコごとき幼児菓子を欲しがる様な子供に見えてるのだ。
これは悲しみの涙ではない。悔しいのだ!
嗚呼、母が『あの子 がビスコを欲しがる分けない』と思われる様な大人に早くならないと」

と思いただただ泣き叫び続けました。

何とめんどくさい子供でしょう。

でもこれは私が母を母と思わず、主君や師匠に対する、忠義や忠節なのです。

これがどうやら私の行動理念であり、自分を中心に考えたことが無い実態だそうです。

結婚報告のTELと同時に母にこのエピソード話したら、すっかり忘れてて、

「大人でもビスコ食べるから気にしなや」
で片付けられました(笑)。

「他者はこう思ってるに違いない」
で行動が間違ったり、遅れたりするのはもったいないですね。
blog書いてて自分と向き合うことできました。ありがとうございました