しかも絵本は嫌いで、字がまだ読めないのに動物図鑑や鉄道事典を引きずりながら、母に読め、とせがんだらしいです(笑)。
母は嫌がらず、私に図鑑の解説文章を読んで聞かせてくれました。
何度でも同じ本を母に読ませ、その度に同じ図鑑の写真を目に焼き付けてる内に、いずれ母が居なくても、図鑑の絵を見ただけで、母の朗読文をそっくり暗唱する様になったそうです(笑)。
外での遊びよりも友達との遊びよりも、ブロック遊びやプラモデル作りが好きでした。
野球が下手な子供には「のび太」な扱いをする同級生は、こっちから願い下げと勝手に思ってました(笑)。
「友情の大切さは理解してる。だが、私が満足しうる者が居ないだけだ。」
と5才から考えていた憎たらしいボウヤでした(笑)。
分岐点は1988年です。

兄が友人から借りてきた漫画のパタリロ(写真)のなかで
「『恋をすると人は疑い深くなる』byギリシャの哲学者の言葉」
とあったのです。
その時私は、言葉よりも内容よりも、「哲学者」と言う響きに強く惹かれたのでした。詩人でも小説家とも科学者とも違う「哲学者」
長い小説も、意味不明な詩も国語の授業で嫌いでした。
しかし、たった一言で真実を見破る哲学者には強い憧れを抱きました。

でも、将来の仕事は天文学者と決めていました。
聖闘士星矢(写真)の影響でギリシャ神話のロマンと宇宙物理に憧れ、自分は「天文学者になる為に生まれてきたんだ」
と信じていました。
そして、1989年のベルリンの壁崩壊、1990年のソビエト解体で「お母さん、どうしてそんなに社会主義が悪者にされるの?平等の何がいけないの?」
母に疑問をぶつけました。
そしてその当時我が家の朝のラジオは

そして母は彼が関西学院大学の哲学科卒業だと教えてくれました。
明日は中学から大学までくらいを…。