武士道1 その命、主君の為に | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

「ハラキリ」は「切腹(せっぷく)」と同義でも、漢字の読み替えでもありません。

ハラキリとは、
武士に於ける古来の
「腹(はら)を決める」
を近世、外国人が聞き違いしたものに、切腹の読み間違いが二重に起こったものです。

腹を決めるとは、
「行動の為に決心すること」
です。
赤穂浪士が討ち入りを決心したことが「腹を決める」であり、目的を果たした浪士達の結果が「切腹」だったのです。

思うに、日本の歴史と文化を伝える時に、この赤穂浪士の話を持ち出したのでは?
誇るべきはその英断である。
しかし、「自害」と言う結果しか受け入れられず、
「死を恐れない命知らずの集団」
としてしか伝わらなかったのでは?

勿論、第二次世界大戦時の日本軍のイメージが影響してるでしょう。
そして日本軍のイメージが間違った武士、侍像を作り上げ、欧米人から逆輸入されたサムライを私達は見てたのです。

では武士にとって「死」とは?

「忠節を重んずれば、死する時に死に、生きるべきかは自ず(おのず)と解る。
それ解せぬ時は『犬死』になり」
とあります。

真に主君に対して忠節を誓う武士は、
生殺与奪(せいさつよだつ)の権利を主君に預けていました。
つまり本当に主君の為を思うなら無駄死には選ばないのです。
そして切腹とは本来「抗議」なのです。
「我が命懸けの抗議が受け入れられないならば、我が腹の中に一切の汚れ無きを皆に確認して頂きたく候。」
と言う思いで自害を選択していったのです。

また、主君が殺されて、敵に捕らわれたからと言って切腹を選択しません。
己を捕らえた者が、亡き主君の遺志を継ぐに相応しい新たな主君となるなら、武士は喜んで仕えたものなのです。

決して「カミカゼ特攻隊」が武士ではありません。

明日はその武士の中核となる「忠」について語りたいです。
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写真は武士の鑑と言われた軍神 楠木正成公です。