突然ですが、今日からアメブロを始めます。あと、このブログのことを生意気にも「コラム」と呼ばせていただきます。

 今回僕が唐突にこんなことをし始めたのは訳がある。最近、大学時代の思い出が薄れていることをヒシヒシと感じる。日々仕事で覚えることが多かったりして、大切な思い出が押し出されている。そしてこれはこれから先何十年と生きていく中でどんどん進行するだろう。ならば、まだ覚えているうちに、記録にしたい。そう思ったからである。実際、高校生のころ自分が書いていたブログを見ると、今でも昨日のようにその記事を書いた時を思い出せる。だから、「コラム」を始めさせて頂きます。まあ結局は自分語りなので、もしよかったら見てって下さい。

 記念すべき第一回は「居酒屋バイト」について書かせて頂く。
 僕は某24時間営業の居酒屋チェーンで大学3年生の6月〜4年生の6月まで、ちょうど1年間働いていた。なぜそんな半端なタイミングで働いていたかというと、理由は様々だが、まあザックリ言うと、色んなバイトをしてみたかったからである。1年生から学習塾で働いていた(これについてもいつか書かせて頂く)僕は、それはそれでやりがいを感じつつも、漠然と接客業に憧れていた。そして、3年生の春、キャンパスが変わるタイミングで「兼業」に踏み切ることを決意した。塾のバイトを週1のみにした。私の働いていた塾は曜日固定で1年の最初に1年間の時間割が決まるシステムだった。それを退路を断って、1年間週1にしたのだ。それだけだと給料は2万強。遊びざかりの大学生には当然足りない。そうして僕は、夢である接客業への華麗なる転職を図ったのである。
 ところが、現実は上手く行かない。なかなか決まらない。落ちる。まあ当時の僕ははっきり言って、今にも増して芋臭くて無能そうだった。そこそこ良い大学に通う頭でっかちで臨機応変の効かないガリ勉くん。実際はそんなことないのだけど、飲食店で働く人が俺と僕の履歴書を見てそう判断しないのはなかなか難しいことだろう。
 そうして華麗なる転職を図った僕の夢は儚く散り、気づけば僕は「ひたすら鉄の棒にシンナーを塗る」という誰がなんのためにやってるかもわからない手渡しの日雇いバイトで食いつなぐ日々となっていた。
 そんな日々の中、駅に置いてあるタウンワークを目を皿にして読んでいた僕が出会ったのが、冒頭の居酒屋である。このチェーンで一番の売上を誇るこの店舗は、常に人手不足に悩まされていた。頭でっかちでガリ勉の私も採用してくれた。ちなみにこの面接の際、僕は今でもよく覚えている質問をされた。
「あなたにとって、仕事と学校の違いは?」
今思えば、きっと責任感なくすぐバックレる学生対策の軽い質問だったのだろう。だが、そんなこと考えたことがなかった私は少し考えた結果、こう答えた。
「勤労の義務、教育を受ける権利。義務と権利ですかね。」
はあ、なんとも小賢しい。メガネをかけた自称カリスマ経営者のnoteから引用してきたような答えである。店長採用してくれてありがとう。
 かくして夢だった居酒屋店員になった僕だったが、あの1年間は私の人生にとても大きな影響を与えた1年だったと思う。何より、安っぽい表現で申し訳ないが、メンツが濃かった。金髪長髪のイケメン役者の卵、昼間は介護施設で働いてる働き者の女の子、タメ口を聞いてくる高校生、高校を出て何年もなんとなくバイトで食いつないでるフリーター、自分のお店が潰れた板前、他人の服にチャッカマンで火をつけようとするのが癖のベトナム人、田舎から出てきた他人の物を盗む奴、声優学校に通ってる人、途中で逮捕された人、挙げればキリがない。僕の知り合いで逮捕された人は未だにあの人しかいない。まあ嫌な人では全くない、むしろめちゃくちゃ優しい人だったけど。そんなかんやで、とにかく「ヤバいやつ(褒め言葉)」が多い空間だった。
 奇人変人が集う中高一貫男子校で育ち、同じく奇人変人だらけのお笑いサークルに入っていた僕がいまさら「ヤバいやつ」に驚くのはおかしいのではないかと思われるかもしれない。でも、違うのである。僕がそれまで出会ってきたヤバいやつは、「僕が生きてきた世界のヤバいやつ」だったのだ。それに対しあそこは、「普通の世界のヤバいやつ」だった。これは僕にとって初めての出会いだった。
 ただ、僕にとって衝撃の出会いだったが、恐らく彼らにとっても僕はある程度馴染みのない存在だっと思う。大学生のほうが少ない職場だったし、中でもある程度偏差値の高い大学の人は本当に数人だった。そして何より、その数人も「ちゃんとチャラいやつ」だった。そんな環境に突如現れた東京のど真ん中の中高で育ったとは思えないほど芋臭くて、彼女いない歴=年齢だった僕は、当然浮いていた。
 僕はこのバイトで一つの大きな気づきを得た。それは「僕が思っているより、ヤバいやつは良いやつで優しい。」ということだった。塾で働いているガリ勉大学生(職場内当社比)の僕はいつしか「先生」と呼ばれるようになり、みんなと仲良くなった。そこからの日々は、本当に楽しかった。夜勤終わりにいきなり早朝草野球の助っ人に拉致されたり、行ったこともないようなチャラい居酒屋に行ったり、飲み会では当たり前のように付き合ってない男女による膝枕が行われていたり、とにかく僕には衝撃な世界だった。初めて体験する、常識が違う世界だった。しかし彼らは、そんな飲み会で酔った僕がする、恥ずかしいほど初歩的な恋愛相談にも真剣に乗ってくれた。カラオケで雑なモノマネをすると、腹を抱えてバカ笑いしてくれた。とにかく、優しかったのである。
 僕はそれまで、正直世界が狭かったと思う。チャラいの定義は茶髪、MARCHは負け組。そういう世界で生きていた。そういった意味では、本当に衝撃で、今に繋がる大事な時間だった。あの1年がなければ、いま全然違った価値観の人間だったのではないかとすら思う。
 僕は、8日連続夜勤や6時退勤10時出勤など、様々な輝かしい記録を残し、1年後、シフトを提出しないで消えた。店長ごめんなさい。勤労の義務は放棄しました。辞めた理由はいろいろあるけど、4年間の集大成で塾に注力したくなったのが一番の理由でした。またそれについては塾の回で書きます。
 彼らは退職後の僕も度々遊びに誘ってくれ、飲みに行ったり、金髪長髪イケメン役者の舞台を見に行ったりもした。いなくなってからも誘ってくれるのが、たまらなく嬉しかった。今ではたま〜にラインをするくらいだけど、これから先も、かけがえのない友達として、付き合っていきたいと思う。
 最後に、僕があの店に一つだけ貢献したと思えることがある。それは、くだりという文化を伝来したことである。夜勤の深夜テンションも相まって、俺が作る雑も雑なくだりはウケた。「名タイムキーパーの引退」や「産廃くん」と言ったタイトルだけでは何も伝わらない、今振り返ると何が面白いのかもわからないくだりが夜勤の度に開発された。
 長々語ってきたが、まあ雑に総括すると最高な、そして未来に繋がるかけがえのない1年間だった。みんなありがとう。




以上が、僕の大学時代の思い出「居酒屋編」である。全ての思い出が、今の僕を作ってると思います。今後、色んな思い出を書いていくので、よければ読んでください。