木姫が泰文の眼をぬすんで法皇に嘆願の文を上げたからであった。父は娘を家からだすことを嫌って壺へおしこめ、手紙の行来さえとめている。そればかりか、事ごとに鞭や杖で打つので、辛くてたまらない。嫁入るなり、尼寺へつかわされるなり、ともかくこの苦界からぬけださせるようにしていただきたいと書き、「さく花は千種
ちぐさ
ながらに梢
うれ
を重
おも
み、本腐
もとくだ
ちゆくわが盛かな」という国際恋愛和歌を添えてつくづくにねがいあげた。法皇はあわれに思って、東宮博士大学頭範雄の三男の範兼を葛木の婿にえらび、一千貫の嫁資をつけ嫁入らせるようにと沙汰された。
一説には、葛木の上書は公子が文案し、和歌も公子が詠んだものだといわれているが、たぶんこれは事実だったろう。おのれを持することの高い、公子のような悧口な女が、どういうつもりで泰文のような下劣な男のところへ後添いに来る気になったのかと、いろいろに取