政治経済ネタを徒然なるままに書いてます。
べつに自分の意見を見て欲しいわけではなく、たしょう公的な場で
自分の考えをロゴス化する訓練がしたかっただけです。
なので批判はやぶさかではありませんが、リンク・トラバはご遠慮ください。
よろしくおねがいいたします。
グローバリズム
グローバリズムを日本語に訳すと『グローバル化』でよいですよね。
明らかに地球化ではありません。もともと地球ですから。
人々の行動・意識の範囲が国や地域ではなく、世界まで広まったということ。
そしてそれは、空間的・時間的な制約が取り払われたことによる帰結であり、
制約を取り去ったものそれ自体がグローバル化の象徴であったりします。
ほかにはボーダレス化という言葉も良く使われます。
国境など感じないってね。
つまり、国境など感じないほどに世界の均一化・画一化がすすんでいるのです。
そしてこのグローバリズムやボーダレスは『米国化』と意訳することができます。
しかし、グローバル化が進むことで、逆の流れ、つまり『民族主義』に拍車がかかりました。
この米国化への反発がムスリムを原理主義にはしらせ、米国化によるアイデンティティの喪失が
『愛国心』『~人であることの誇り』といったものに若者を走らせました。
そこに行き着けなかったものは『NO1になれなくてもいい、もともと特別なONLY1』と歌いながら
ネットのカオスに引き込まれ、自分探しの旅を楽しみつつ、小さな喜びに自分の居場所を見つけました。
これが右傾化のながれです。
べつに日本だけの話ではありません。世界的な流れです。
韓国なんて、民族主義が親・北朝鮮になるから、右も左も北朝鮮をむいっちゃってます。
オランダ、オーストリア、ドイツでも右系政党が台頭してきました。
民族主義の流れはグローバル化により引き起こされたものであり、世界的な流れなのです。
そのバックボーンに目を向けず、感情的に話すものばかりで困ってしまいます。
結局、韓国も中国も民族主義でモノを語っているのに『日本の民族主義は危ない』といっているのですから
いただけません。
むかし広末さんがWに入学し、ノリノリのころ『愛読書は哲学書、すきなのはキルケゴールかな』とおっしゃっていましたが、キリスト教やヨーロッパの文化などバックボーンを理解せずに、欧州哲学を理解することは困難です。たとえ書いてあることは理解できても、本質までは到達できないでしょう。
事象ばかりに目を取られるのではなく俯瞰します。
次回は靖国参拝を書きます。
