お久しぶりです。


と、毎回書き出しが同じになりそうな気もしますが・・・



昨日、とてもツイてないような一日を過ごしました。


起きると、とても体調が良くない。

雨、今日は何もしたくない。

何となくぼんやりしていると、猛烈な眠気に襲われる。

今日は仕事も早出で、寝ている時間も当然ないが、10分でも20分でも、と思って寝てみる。


結局、「仕事に行く前にあれしようこれしよう」的なものは何一つできず、自転車に空気を入れたかったのにマンションにあった共有の空気入れも壊れていてパンクしそうだった。

電車に飛び乗るも、いつもより1本遅くて職場に着いたのはギリギリの時間。


職場についてみれば「今日やっておきたい仕事」が今日に限っていつもの3倍になっていて、「今日やらなければならない仕事」も増えていた。

「今日やっておきたい仕事」は1/3しか終わらず、明日に持ち越し。

それは「明日やらなければならない仕事」が明日になる前に2倍になってしまったということになった。

そして「今日やらなければならない仕事」もグダグダに進み、挙句に終電に乗り遅れ、帰りは電車で遠回りをした挙句、1時間程度歩いて帰ることになってしまった。


音楽もマイナーコードを使った音楽が自然と耳に入ってきて、普段ならこんなことは絶対ないのに、何だか不思議な気分だった。


LR44-2


まあ、年に数回あるかないかくらいのありきたりな「ツイてない」一日だったんだけど、それでも職場で「いやあ、今日は朝から全くツイてないことばかりだったのでこれくらいは覚悟してました」なんて強がりを言ってみたりして、ふと思った。


そういや昔はもっとマイナス思考で、もっとくだらないことで悲観的になっていた。


昔は成長著しい企業のフランチャイズ店にいたりして、「もっとプラス思考にならなくては」みたいなことをいつも意識していたけど、今は、「プラス思考もマイナス思考もどうでもいい」感じになっていた。


年齢を重ねたのか、無駄な忙しさにそんなことを考える暇もないのか。

それを振り返ることすら、今これを書いていて偶然思っただけでそんなことに気付く気配すらなかった。



ガキの頃にテレビで、芸能人がインドの喫茶店でコーヒーをかけられてしまった話を思い出した。

当然、旅行中にそんなことがあれば店員を怒ると思う。

しかし怒られた店員は「それは私が今日あなたに出会ってコーヒーをかけてしまう運命で、あなたは今日私と出会ってコーヒーをかけられてしまう運命だった」みたいなことを言い出し、店長を呼んでも似たような返事だった、という話だった。


何ともふざけたように聞こえるが、インドは仏教の国で「運命は絶対」らしくて、日本の仏教(詳しくは知らないが)とイメージが違うなあ、とか、妙な深さを感じてしまったりした。


ツイてなくても覚悟していれば、「もっと最悪なことが起きなくてよかったなあ」とか、「そういう運命だったししょうがないなあ」とかであっさりカタがついてしまう。

これは現実逃避なのか自己啓発になるのか、僕にはとてもわからないことだが。



そういえば昔、小沢健二が「犬は吠えるがキャラバンは進む」という1stアルバムを出した際に自分でライナーノーツを書いて、ある解釈を綴っていた。


>"犬は吠えるがキャラバンは進む"というのは僕の好きなアラビアの諺で、正確な意味はよく知らない。

>だけど例えばこのアルバムで僕が何回か言っているように"俺という犬は吠えるのだが

>熱力学的キャラバンは全く無頓着に進んでゆく"という風に考えることもできるし、

>また同じくらい何回か言っているように"犬たちが吠える時にも恐れずに

>僕たちはキャラバンを進めていくことにしよう"という風に考えることもできて、

>実際に僕は1日の中で犬になった気分になったりキャラバンになった気分になったりする訳で、

>では結局これはどっちでもいいいい加減な諺なのだと勝手に決めて、

>多くのアラビア人や諺学者には悪いけど、この言葉をタイトルにすることにした。


これを読んで、そういえば小沢健二は世間一般には「今夜はブギー・バック」やアルバム「LIFE」のイメージだが、東大でアメリカ文学を専攻していた(記憶違いかも・・・)んだなあ、とか思ってみたり。


晴れた夜に遠くを見れば、小さな星がたくさん見えて、その遠い星に人が住んでいれば、どんなに精度の高い望遠鏡で覗いても僕らのことなんて見えやしないと思う。

そんな小さな僕がツイてようとツイていまいとさして問題ないのかもしれない。


と、これは現実逃避だろうなあ。

ここまで広がると何もかもどうでもいい感じになってしまうが。



今日は「ちょっとだけツイてる日」になりますように。

とてもマイペースなブログを。

最近はすっかり寒くなって、もう寒さが染みるようになりました。
季節を感じることが幸せかどうかは別にして、でも、移り変わりは悪くないような気がする。

春の暖かい風、夏の光に反射する青、秋に見上げる月、冬の手に降りる雪。
どれも捨てがたい。

まだそんな歳でもないけど、「あと何回過ぎるのかな」と、考えてしまうことがある。

楽しんでも何もしなくても時間が過ぎて、それは取り返せない。
だから一瞬を楽しく、という人がたくさんいて、どちらかというとそっち派だったのだけど、最近はだったら何もしなくていいんじゃないか、と、思うようになった。
それは突然そうなった、というか、あることがきっかけでそう思うようになった。



小さな電池のブログ



最近あるブログを読んで、凄く感動し、思わず涙した。
それはサニーデイ・サービスというバンドが昔作った「いろんなことに夢中になったり飽きたり」という曲の思い出を綴ったもので、ああ、そんな話を読んでしまったらこの曲は一生聴き続けるかもしれない、と思った。
その曲には「忘れてしまったのなら思い出さなくていいよ」、「答えがないならないでいいんだ」、という歌詞があり、それは全てを受け入れているのか、それとも全く興味がないのか、どちらかわからないままゆっくりとやさしく語りかける。


そして、「そのままでいいんだ」という、人間的には非常にダメな発想が脳にしっかり植え付けられてしまうのでした。

困った困った。