私も親友も、飛び降りたのに死ねなかった。

 

 

 21歳になる歳でまだ高校生な私も、高校を辞めてしまってアル中になってしまっている親友も、毎日「死にたい」を抱えて生きている。

 私たちは日々、自殺未遂に走るのだが、その度助かってしまって生きながらえている。自分に生きている価値なんてないのに、そんなこと思いながら、実際そうでありながら。

 確かに、私たちのような社会不適合者は、生きている価値などない、穀潰しなのだ。学校や仕事もロクにできずに、それでも、精神疾患とかいう持病のおかげで国から金をもらいながら生きている。

 生きていたくない。そう思いながらも、金が入れば食事は取るし、髪も染める。今度はタトゥーを入れようか、なんて迷いながら、顔面にいくつもピアスを開けながら、その辺の健常者より、生温い生活を送っているのだ。

 

 私たちは、きっと周りの人間に恵まれている。自殺を止めようとしてくれる友達や、自殺未遂を繰り返す度に、私たちの病気に対して理解を深めようとしてくれる親がいる。

 正直、親に関しては、過干渉な部分があるし、中々頭が固いからあまり干渉して欲しくないと思うのだが。

 周りの人間に恵まれている、そう思いながら、光があれば陰ができるように、恵まれていない部分もある。

 そう、私の場合は、やっとの思いで縁を切った性格の悪い友達や、親友の場合は今までの恋人に問題があったり。恵まれていないというか、残念だった部分というか。

 友達は少なく、恋人もいない。そんな現状でお互い生きている。

 

 私は、今は実家を離れて暮らしている。家族アレルギーなのか、というくらい、実家にいることが耐えられないのだ。母と顔を合わせれば、母の口から無限に湧き出る職場の愚痴と、いつの間にやらブラコンになってしまった兄から受ける相談や雑談が、聞くに堪えない、いっそ全員殺してしまおうか、と思ってしまう。

それだけじゃない。実家にいる私は完全に鬱でしかなくて、こうやって文章を書くことや、他の趣味に手を伸ばすことも億劫なのだ。

 

 親友は、実家で暮らしているが、アル中であるが故、親からの金銭管理やアルコールへの制限があり、ずっと見られている、管理されている気がして、逆にアルコールに走りたくなったりしているし、そのせいで不安障害が悪化したりしている。

 

 私たちは、高校で出会い、好きなアーティストが同じという点で友達になったのだが、あまりにも気が合い、すぐに仲良くなった。

 毎日のように博多で飲み、1,2ヶ月でお互い過去イチ太った。

もうダイエットしよう? 一緒にやればモチベも保てるよ! そう言いあって、ダイエットを始めた。

 ダイエットは、食事制限と軽い運動だったのだけれど、食事制限が沼だった。太るのも仲良く一緒に、痩せるのも仲良く一緒に。

 はじめは良かった、でも、今まで好き勝手していた食事を制限したことがストレスになって、仲良く過食嘔吐になった。

 食べた物も、吐けばなかったことになる。そんな安直な考えで、痩せてしまえば辞めれると思って。

 結果、私たちは1ヶ月で、私は-7キロ、親友は-10キロ以上痩せた。私は指を口に突っ込んで吐いていた。これは、普通の人でもやることもあるだろうけど、親友はシリコンのチューブを飲み込んで、胃を洗浄するかのように吐いていた。これは、過食嘔吐をする人の中では珍しくはないのだが、できる人は少ない吐き方だった。

 チューブ吐き、これをここで詳しく書く気にはなれない。それくらい、ハマってしまったら抜け出せない、私は責任を取れない、危ない吐き方なのだ。

 親友はそのチューブ吐きを1年弱くらいして、私は指吐きを、反射嘔吐ができなくなるまで続けた。

 地獄は過食嘔吐をしていた時も金が食費に飛んだり、吐けなかった時の焦燥感で地獄だったのだけれど、吐けなくなってからも地獄だった。

 過食症。吐けなくても何かを食べるのが止められない。空腹も満腹も分からない。ただただ食べることだけで、食べてる物の味も分からなくなって、食べていることは楽しくなくて、太ることに対する恐怖だけ募って地獄。

 過食嘔吐は、私は17歳くらいの頃の話なのだけれど、過食症に関しては、私も親友も、未だに悩まされている。

 摂食障害の中で、吐かない過食だけの非嘔吐過食は中々診断が降りにくい。大体、吐いているか、拒食症で極端に痩せていないと、ただの食べすぎだとか、そういう言われをして終わるのだ。

 

 私が飛び降りたのは3年前の11月。無理な授業の詰め方と、必要以上に入れていたアルバイトが原因で、OD(薬の過剰摂取)と深酒に逃げる日々を送っていた。その末、薬でワケも分からなくなり飛び降りた。

 親友が飛び降りたのは確か去年の7月。恋人と別れたショックでアルコールに逃げていたが耐えられず酔った状態で飛び降り。

 あぁ、私たちはどれ程仲が良いんだろうか。同じ死に方で同じように死ねなくて。

きっと、どちらかが死ねば、もう1人も死ねる。そんな気さえしてくる。でも、ODで自殺未遂も、首吊りで自殺未遂も、手軽にできる自殺の仕方では、死ねずにいるのだ。

 車にでも乗ったまま、海に飛び込めば多分絶対死ねるだろうが、お互い免許も持っていないし車もない。

 飛び降りで負った後遺症に苦しめられながら生きている。

 

 私は、来年度、今年の4月から、高校への復学が決まっているのだけれど、健常者が徒歩10分で着く距離を、徒歩30分かけて歩き登下校することになる。それが本当に惨めで堪らなくて、卒業まで辿り付けるか分からない。

 親友は地元のスナックで働いていたけれど秒で飛んで、障害年金も親に管理されていてお金がなくて、アル中は悪化していて自己嫌悪の度合いが酷すぎて堪らない。

 

 死ぬ覚悟で飛び降りたけれど死ねなくて、お互い仲良く明るい未来が見えない現状。後遺症さえなかったなら、まだマシな生活が送れたかもしれない、そうとしか思えない。

 

 私たちは死ねない。死へ救済を求めることすら許されず、神に見放された存在。