今や、戯曲の貧困を云々すべき時ではない。それはその通りだが、さて、現在の新劇団は、それぞれに上演脚本の払底に頭を悩ましてゐることもまた事実である。
これはいつたい、どういふことなのか。
劇団に戯曲のわかるものがゐないのか。
必ずしもさうではなからう。劇団はそれぞれに、当今第一線にある優秀な劇作家と特別に結びついてゐる。劇団はそれらの作家を信頼し、その作品を一つでも多く上演しようとしてゐる。しかるに、一年数回の公演に、それに間に合はないのである。要するに、一回の公演に堪へる作品の数が少なすぎるといふことである。
公演に堪へるとは、そもそも、何を意味するか?
こゝで、公演の性質を大きく二つに別けてみる。慣用語に従へば、一つは研究的公演乃至先駆的公演、一つは、大劇場公演乃至企業としての公演である。
周知のやうに、現在の新劇団は、以上の二つの公演を交々、或る時は、その何れをも兼ねた公演を行はざるを得ぬ状態であるから、前者に適した脚本は多少無理を覚悟で決められぬこともないが、後者のための脚本をわが国の作家のうちから探すとなると、ほとんどまつたくと云つていゝくらゐ種切れなのである。
