いつか読みたい、、、と思っていた本。
『夜と霧』新訳ヴィクトール・E・フランクル著池田香代子訳ユダヤ人としてアウシュヴィッツに囚われ、奇蹟的に生還した著者の「強制収容所における一心理学者の体験」(原題)。夜と霧 新版Amazon(アマゾン)1,320円高校生の時、世界史の資料集に載ってたのかな?「いつか読んでみたいな」と思っていた本。今になってやっと読みました「この手記は独自の性格を持っています。読むだけでも寒気のするような悲惨な事実をつづりながら、不思議な明るさを持ち、読後感はむしろさわやかなのです」(中村光夫氏評)アウシュビッツでの体験記なので、よほど読んでて辛い本なんだろうなあと思っていたけれど、上の通り、不思議な明るさがあった。本文より、特に印象的だった箇所。---------------------------------『人間は何事にも慣れる存在だ』by.ドストエフスキー・・・およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在は初めて完全なものになるのだ。・・・脆弱な人間とは、内面に拠り所を持たない人間。『人間は、歯医者の椅子に座っているようなものだ。さあ、これからが本番だ、と思っているうちに終わってしまう。』by.ビスマルク1944年のクリスマス明けから、1945年の新年にかけて、大量死。クリスマスまでには家に帰れるだろう、という希望が裏切られた落胆と失望によって、抵抗力が一気に下がったためだと思われる。---------------------------------辛いことに対してこそ、何か意味を求めないとやってられない。「これは自身の成長のため」とか、「これだけやったら報われるはず」とか、「こんなの無駄だ」とか、色々考えるけれど、生きるということ自体が、苦しむことであり、楽しいことでもあり、死ぬことである。生まれた時から、死ぬまで、死ぬことまでをすべてひっくるめて生きること。そう思ったら、起こること全て、生きるってこういうことなんだなって、受け入れられる気がする。人は慣れる生き物で、どんな環境にでも、そういうものだと思えば、その環境で生きていける。生きにくくするものがあるとすれば、過去とのギャップを自分が意識下で持ち続けることで、比較して、今の状況を判断することなんやろなあ。「脆弱な人間とは、内面に拠り所を持たない人間」周りの環境、他人の言動に振り回され、自分の言動が簡単に変わってしまう。気分が浮き沈みしてしまう。そうではなく、自分という核をしっかり持ち、何があっても自分のために自分の品位を落とさずに言動をする。頭ではわかっていても簡単なことじゃない。人によって態度を変えてしまったり、投げやりになってしまったり、罵声を浴びせてしまったり。しちゃうよね、、、何ものにも振り回されない、自分のために自分の品位をいかなる時も下げない、そんな人に私はなりたいこの本を読めてよかった。