生まれたのは県北の田舎だった。昔、大理石か何か、鉱物が採れたらしい山が近くにあり、車で高速道路を使って帰るときに、一部だけ木が切られ、表面が削れた山が正面に見える。その山が見えてくると、「あぁ、帰ってきたんだな。」という気持ちになった。
 もっとも、私はその家で生まれ育ったという記憶はほとんどない。なぜなら、これもあいまいなのだが、1歳くらいの時に家族で県南に引越したからである。
 小さいアパートを借りての暮らし。私の家族の生活はそこから始まった訳だが、残念ながらこの家の記憶もほとんどないままに、また引越しをする。次の家は父親が勤めていた会社の社員寮で、3LDK。広くはないが、不自由はしない。そんな家だった。
 短期間で引越しを2回もしたことや、私が住んでいる家が、周りの友達のそれのように一軒家ではないことから、「いつかまた引越す日が来るんだろうな」という気持ちは小学生の頃からあった。しかし、その考えは杞憂に終わり、中学、高校、大学と順調に卒業し、社会人になってから自分だけ一人暮らしを始めてもなお、家族はその家に住み続けていた。別にその家に不満や、嫌な思い出がある訳ではなかったが、一体いつになったらこの家を出て行くんだろうかという思いは少なからずあった。
 社員寮だったので、母親から「お父さんが退職するときには引越すよ」とは言われていた。
社会人になった年の11月、私は父親の年齢やら、定年退職をする年齢やら、いろいろ勘違いしていて、「あと1年近くでこの家ともお別れか」と思い、いずれ一人暮らしを始めることになるならば、家族が近くにいるうちに慣れておこう、と考え、その家から車で15分のところに家を借りて住み始めた。
 引越ししてしばらく経ってから、父親の定年退職までまだ5~6年近くあると知り、自分は何のために一人暮らしを始めたのだろうか、という思いを抱きながら生活を続けていた。
 転機は突然訪れた。一人暮らしを始めて2年が過ぎた今年の3月、父親からの突然のメール。 「4月から県北に異動になったから、実家に帰ることに決まった。4月の頭に引越すから、必要なものがあったら取りに来て。」 ついに20年間住んだこの家と別れるときが来たのだ。実にあっけなかった。
 その連絡があり、3月中に3回家に足を運んだが、引越しの準備をしている段階だったため、まだ荷物がたくさん家にあった。私が過ごしていた部屋はダンボール置き場になっていたが、そのときはまだ育ってきた家を離れる、という実感があまりなかった。
 4月に入り、その家にいられる最後の日の昼、両親と一緒に、テーブルも冷蔵庫もなくなったリビングで、スーパーで買った弁当を一緒に食べた。箸もないため、割り箸を使って。
 その日は平日だったため、姉は仕事へ行っていたし、私も仕事があったので、昼飯を食べたらそのまま仕事へ行った。感傷に浸る暇もなく、終わってしまったのだ。