が、気になる。

幼少の頃から家の近くにガスタンクがあった。
その球体は巨大で、太陽にさらされて薄くなったであろう緑色が何故かやけに無機質としての説得力を増幅させていた。

少し離れた場所でも、ある程度高い建物に登れば小さくなった「奴」が見える。
あの存在感だ、きっととんでもない奴に違いない。

ガスタンクは風船のようで、あの緑色の薄い膜の中にはガスが充満している。
もし悪い人がガスタンクに釘を打てば大変だ。
たちまちのうちに火の粉に引火して、この辺り一帯は爆発して吹き飛んでしまう。
幸いな事に、今まではガスタンクに釘を打つような悪い人がいなかったから今日があるのだ。
いやしかし、誰かが釘を打たなくても風船はそのうち破裂するかもしれない。
とにもかくにも、我らの未来はガスタンクに握られている。

中学生くらいまでそんな事を真剣に考えていた。

今でもガスタンクを見ると、なんだか気になる。
という言葉が嫌いだった。

言葉の意味とは裏腹に、イマイチ気持ちのこもっていない場面によく使われる気がして嫌いだった。
自分が相手を応援する気持ちは「頑張れ」では表しきれないような気がしていた。

気持ちを色々な言葉に置き換えて伝えてみたけど、それはそれで良かったんだけど、なんだか今にもこんがらがりそうな紐のようで何かが違う。

自分にもっと正直になりたいと思った時、考え方が変わった。
大事なのは、「頑張れ」という言葉が心からの応援であるという事を滲み出せる自分である事だった。

人間は言葉を流暢に使うようにはなったけれど、その一つ前の段階で心を持った個体としてぶつかり合い、調和し合うものなのだなぁと実感した。

現在は「頑張れ」と素直に言える。