僕には嫌いなことが5つほどあります。
ホントはもっと多くの嫌いなことがあると思いますが、
おそらくあまりに稚拙で幼稚な内容なので、ここでは控えたいです。
■巷で言う自己啓発が嫌い
昨今、巷で耳にする事の多いこの言葉。
自身を啓発する事は良い、というより素晴らしいことだと思います。
何が嫌いかというと、その「自己啓発」という言葉に群がる様々なことが
癪に障るんです。
「○○っていう自己啓発の本を見て頑張ろうと思った!」
「△△っていう自己啓発セミナーに参加して、今までの意識と変わった!」
なんて事が、読者の方やその周りにいらっしゃるかもしれません。
いやいや、僕に言わせれば、それは自己啓発ではない。断じて違う。
あえて言うなら、そのようなセミナーとかに行って感化されるのは、
かなり危険な出来事のように思うんです。
自己啓発って、そもそもは自身のどこかにコンプレックスを抱いていて、
それを払拭するためのマインドコントロールだと考えています。
コンプレックス以外の事でも構わない、何かがきっかけであろうとも、
それをマインドをセルフコントロールする事が「自己啓発」の本質なのではと感じます。
しかし、本とかセミナーとかで感化される啓発においては、自己啓発の本質とは
かけ離れている気がするし、カルトチックな臭いも感じるんです。
だから嫌い。
■前見て歩かない人が嫌い
僕もそうですが、現代人の多くはスマートフォンを持っている時代です。
いろんな掲示板を見たり、ゲームしたり、いろんなアプリで遊んだり調べたりします。
ただ、歩きながらとか、自転車乗りながらスマホを触っている人の気が知れないんです。
実は、今日もスマホいじりながら歩いている人とぶつかった。
その人は「どこ見て歩いてんだ!」と言ってきたが、僕は歩いておらず、ただずっと同じ場所で
メールを見ていただけだったんです。
そんなに視野が狭くなるのに、その人はまたスマホ触りながら歩いていきました。
気が知れない。
■背伸びする人
誰と戦ってるのか分からないが、常に人に良く見てもらおうとアピールをする人が嫌いです。
才のある人、頑張っている人っていうのは、その人たちが何も示している気がなくても
勝手に周りが魅力的に感じ、いつの間にか物凄いコミュニティが出来上がっているもんです。
ギャーギャー騒いで魅力的に感じるのは3歳まで。
■電車内で足を広げて座っている社会人
短足のくせしやがって、何大股広げて股間の換気してやがる。
■成功者を心の底から真似る人
人間完璧じゃない。どんな賢くても、どんなに経験を積んでいても、たくさんの失敗をします。
よく結果を残した人たちは総じて「失敗は成功の元」と仰られていますが、一理あります。
しかし、それは自分のこれまでの行動を反省し、課題を追求し続けるから成り立つけど、
そのような行動を日々念頭に置いて過ごしている人はどのくらいいるのだろうか。
僕もそうだが、大抵の人が怠けたり忘れたり嫌になったりして、自然消化してしまう。
「失敗は成功の元」もそうだし、その他成功者が残してきた言葉は非常に重たく、過酷である。
それを理解してかしらずか、座右の銘だなんて便利なカテゴリを使い、当て込む。
読者の方々も自ずと気づいていらっしゃると思いますが、言葉の力というのは実にリアルで、
誰が発するのかで大きく変わってくる。
例えば、「努力は報われる」なんて言葉をオリンピックのメダリストが発するのと、
40歳ニートが発するのでは言葉の力に雲泥の差が出る。
しかし、不思議な事に著名な方々の名言に感化される人ほど、普段の言葉に力を載せれない人が
多いのではと思っています。
多くの成功者は、先人の知恵を余すことなく借り入れ、成功している。
このループは永遠に続くものだろうと思いますが、ただ真似ればいいだけではない。
真似た事を自分の意志である事と勘違いさせ、そこに本当のオリジナルを加えていく事が
何よりも重要で、同じ成功者なんていません。
なんか最近「意識高い系」なんて言葉も出回っていますが、
意識高いのは結構なんですが、高く持ちすぎて見えないところまで行ってしまい、見失ってしまってはダメなんじゃないかと。いわば意識不明といったところでしょう。
ちゃんと自分の意思をコントロールし、高い標準でい続けれる人が強い人間なんじゃないかと
思っています。
私の嫌いな10の人びと (新潮文庫)/新潮社

¥464
Amazon.co.jp
今回のブログ、遊び半分で上記の本の真似をしてみました。
ホントはもっと多くの嫌いなことがあると思いますが、
おそらくあまりに稚拙で幼稚な内容なので、ここでは控えたいです。
■巷で言う自己啓発が嫌い
昨今、巷で耳にする事の多いこの言葉。
自身を啓発する事は良い、というより素晴らしいことだと思います。
何が嫌いかというと、その「自己啓発」という言葉に群がる様々なことが
癪に障るんです。
「○○っていう自己啓発の本を見て頑張ろうと思った!」
「△△っていう自己啓発セミナーに参加して、今までの意識と変わった!」
なんて事が、読者の方やその周りにいらっしゃるかもしれません。
いやいや、僕に言わせれば、それは自己啓発ではない。断じて違う。
あえて言うなら、そのようなセミナーとかに行って感化されるのは、
かなり危険な出来事のように思うんです。
自己啓発って、そもそもは自身のどこかにコンプレックスを抱いていて、
それを払拭するためのマインドコントロールだと考えています。
コンプレックス以外の事でも構わない、何かがきっかけであろうとも、
それをマインドをセルフコントロールする事が「自己啓発」の本質なのではと感じます。
しかし、本とかセミナーとかで感化される啓発においては、自己啓発の本質とは
かけ離れている気がするし、カルトチックな臭いも感じるんです。
だから嫌い。
■前見て歩かない人が嫌い
僕もそうですが、現代人の多くはスマートフォンを持っている時代です。
いろんな掲示板を見たり、ゲームしたり、いろんなアプリで遊んだり調べたりします。
ただ、歩きながらとか、自転車乗りながらスマホを触っている人の気が知れないんです。
実は、今日もスマホいじりながら歩いている人とぶつかった。
その人は「どこ見て歩いてんだ!」と言ってきたが、僕は歩いておらず、ただずっと同じ場所で
メールを見ていただけだったんです。
そんなに視野が狭くなるのに、その人はまたスマホ触りながら歩いていきました。
気が知れない。
■背伸びする人
誰と戦ってるのか分からないが、常に人に良く見てもらおうとアピールをする人が嫌いです。
才のある人、頑張っている人っていうのは、その人たちが何も示している気がなくても
勝手に周りが魅力的に感じ、いつの間にか物凄いコミュニティが出来上がっているもんです。
ギャーギャー騒いで魅力的に感じるのは3歳まで。
■電車内で足を広げて座っている社会人
短足のくせしやがって、何大股広げて股間の換気してやがる。
■成功者を心の底から真似る人
人間完璧じゃない。どんな賢くても、どんなに経験を積んでいても、たくさんの失敗をします。
よく結果を残した人たちは総じて「失敗は成功の元」と仰られていますが、一理あります。
しかし、それは自分のこれまでの行動を反省し、課題を追求し続けるから成り立つけど、
そのような行動を日々念頭に置いて過ごしている人はどのくらいいるのだろうか。
僕もそうだが、大抵の人が怠けたり忘れたり嫌になったりして、自然消化してしまう。
「失敗は成功の元」もそうだし、その他成功者が残してきた言葉は非常に重たく、過酷である。
それを理解してかしらずか、座右の銘だなんて便利なカテゴリを使い、当て込む。
読者の方々も自ずと気づいていらっしゃると思いますが、言葉の力というのは実にリアルで、
誰が発するのかで大きく変わってくる。
例えば、「努力は報われる」なんて言葉をオリンピックのメダリストが発するのと、
40歳ニートが発するのでは言葉の力に雲泥の差が出る。
しかし、不思議な事に著名な方々の名言に感化される人ほど、普段の言葉に力を載せれない人が
多いのではと思っています。
多くの成功者は、先人の知恵を余すことなく借り入れ、成功している。
このループは永遠に続くものだろうと思いますが、ただ真似ればいいだけではない。
真似た事を自分の意志である事と勘違いさせ、そこに本当のオリジナルを加えていく事が
何よりも重要で、同じ成功者なんていません。
なんか最近「意識高い系」なんて言葉も出回っていますが、
意識高いのは結構なんですが、高く持ちすぎて見えないところまで行ってしまい、見失ってしまってはダメなんじゃないかと。いわば意識不明といったところでしょう。
ちゃんと自分の意思をコントロールし、高い標準でい続けれる人が強い人間なんじゃないかと
思っています。
私の嫌いな10の人びと (新潮文庫)/新潮社

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今回のブログ、遊び半分で上記の本の真似をしてみました。